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印刷文化論 レポート
 
視覚障害者と情報―点字と文学作品を通しての考察
 
人間学類 199800735 薬袋愛
 
T 研究の目的
 点字は視覚障害者、特に盲者にとって、情報獲得の大きな手段であり、生活や学習のためになくてはならない文字である。視覚的な文字である墨字情報を、晴眼者と同じ質・量を保ちつつ獲得するために、点字は日本語の文法や表記をベースにしながらも凹凸という独特の表記法を持ち、さまざまな変遷を経て触覚的な言語表記の方法として体系化した。点字はひらがな・アルファベット・数学記号・音符など、墨字で表記された日本語のほとんどを、その音に忠実に表すことができる。一方、墨字は視覚的な文字であるために、特に文学作品等では、漢字・カタカナ・ひらがなの使い分けやルビ、文字の大きさ、記号の使用など、文字の表記方法による視覚的効果を意図して書き表されることがある。これらの作品が点訳される際に、本文の情報を漏らさず正確にそのまま伝えられているかというと、そこには疑問が生じる。
 また、機器の進化にともない、視覚障害者が情報を入手するための様々な方法が開発されてきた。その中で、情報を巡る数々の問題も表出してきている。
 そこで、本研究では、文学作品の点訳における本文の正確性と、点字から墨訳する際の本文の正確性、再現性についての検討を通して点訳・墨訳のあり方を考察し、また、視覚障害者や点字と情報を巡る問題について整理し、考察することを目的とする。
 
U 方法
研究T 視覚障害者、点字と情報をめぐる諸問題についての研究
   現在の視覚障害者や点字と、情報を巡る諸問題について、文献調査、視覚障害者への聞き取り調査、点字雑誌記者への聞き取り調査などにより整理し、考察する。
研究U 文学作品の点訳、墨訳についての研究
   任意の文学作品(視覚的効果の高い作品)を点訳し(または点字出版された作品を用意し)、原本との比較を行う。
 
V 構成
 序章  研究の目的・方法
第1章 視覚障害者、点字と情報を巡る諸問題についての研究(研究T)
 1 視覚障害者の情報獲得手段
 2 電子情報と著作権に関する動向
 3 点字、点訳と視覚障害者について
第2章 文学作品の点訳、墨訳についての研究(研究U)
 1 文学作品の視覚的側面
 2 文学作品と点訳との比較
 3 文学作品と、点訳した文学作品の墨訳との比較
第3章 総合考察
 
W 本論
 
第1章 視覚障害者、点字と情報を巡る諸問題についての研究(研究T)
1 視覚障害者の情報獲得手段について
 視覚障害者には大きく分けて盲者(全盲者)と弱視者がいる。教育的な意味で言うと盲児は点字を使用して学習するもの、弱視児は普通字(墨字)を用いて学習するもの、との一つの基準があり、本論文ではこれに基づいて、以下特に注を設けない場合は「視覚障害者」は「点字使用者」の意味で使用する。なお、盲者としないのは、視覚障害者の中には全盲ではない点字使用者もいるからである。
 人間は情報の80%以上を視覚に頼っていると言われる。しかし、視覚障害者は視覚から情報を入手することができないため、相当量の情報から隔絶してしまうことになる。そのため、情報獲得に関して、視覚殻得る情報を補うために様々な手段が用いられている。以下に列挙して説明する。
○点字情報の入手・・・・・・点字新聞、点字雑誌、点字教科書、点字で書かれた手紙など
  最初から点字情報で提供されているものは、われわれ晴眼者が墨字情報を入手する のと同じような方法(雑誌を買うなど)で入手し、点字情報を入手してその内容をすぐに知ることができる。しかし、点字使用者は視覚障害者全体の約一割弱と非常に少数であり、最初から点字情報として提供される情報は極めて少ない。利点は、情報入手後からすぐに触って読むことができ、情報の内容を知ることができる点である。難点は、点字情報の絶対数が少なく、入手しにくいことである。
○音声情報の入手・・・・・・テレビ、ラジオ、録音図書、音楽など
  最初から音声情報として提供されているものは、われわれ晴眼者が音声情報を入手 するのと同じ手段(テレビ、ラジオなど)や、同じような手段(図書館から録音図書を借りる)で入手し、その情報の内容を知るために機器を用いる。利点は、情報が早いことであり、難点は記憶に向かないため、後で該当部分を参照するなどが難しく、研究目的の利用に向かないことである。
○墨字情報(印字)の入手
[点字化(点訳)して入手]
 ・点訳(手動) 
@点字板・点筆を用いて、点訳者が一字一字凹凸をつけて点訳する。
A点訳タイプライタを用いて点訳者が一字ずつ入力し点訳する。
Bパソコンで点訳エディタを用いて、点訳者が点訳の法則に従って入力し、点訳する。この過程で、(墨字電子テキストデータ)、点字電子テキストデータができる。
利点 墨字の一音が点字の一字に対応し、正確な点訳ができる。難点 点訳スキルを持つ人にしか点訳できない、点訳者に負担がかかる、
@・Aは複                                                              
製できない。
 ・点訳(自動) 
墨字情報を墨字電子テキストデータ化し、そのデータを、点字データ変換ソフトを使用して、点字電子テキストデータ化する。
  利点 点訳自体は点訳ソフトが行うため、点訳者にスキルが求められない(誰でもできる)、複製可能である。
  難点 点訳ソフトの性能が正確性に欠ける。
[音声化して入手]
 ・朗読 朗読ボランティアに指定した情報を朗読してもらう(自分でそれを録音する)。
  利点 特別な用具が不要、朗読者にスキルが求められない。
  難点 朗読者の音読能力(特に漢字)に左右される、長時間できない、授業などの場面でその情報を参照することができない。
 ・音声化ソフト 墨字情報を電子墨字テキストデータ化し、そのデータを画面に表示させ、音声化ソフトを用いて画面の読み上げを行う。
  利点 スキルが求められない。
  難点 再生時に常に特別な機器が必要。あとで参照することが難しい。
・墨字情報(電子データ)の入手
 パソコン・インターネットの普及により、ウェブ上には様々な電子墨字テキストデータが提供されている。これらの情報には手軽にアクセスでき、しかも視覚障害者が自分だけの力で、点訳者などのボランティアに頼らずに入手できるため、視覚障害者の情報入手手段として、大きな位置を占めるようになりつつある。
[点字化して入手]
あらかじめ墨字電子テキストデータとして提供されているデータを、点字データ変換ソフトを用いて電子点字テキストデータに変換する。その後、点字プリンタで出力すれば紙に点字印刷され、点字表示機器を使用すれば一行ずつ表示させることができる。
利点 他人に頼らずに自分で情報を入手できる。
難点 点字データ変換ソフトが正確性に欠ける。
[音声化して入手]
 墨字電子テキストデータを画面上に表示させ、音声化ソフト(ホームページリーダー)を用いて画面の読み上げを行う。
 
2 電子情報と著作権について
1) 点字による複製
点字による著作物の複製については、法第37条第1項に次のとおり定められている。
 
   第37条 公表された著作物は、盲人用の点字により複製することができる。
 
 同条文は、公表された著作物を点字により複製することが許されることのみ規定されており、複製の主体や目的また作成方法等については言及していない。つまり、営利であろうが非営利であろうが目的を問わず、また複製方法を限定せず、著作権者の許諾なしに、だれもが公表された著作物を点字により複製することが認められている。
 
2) 点訳ソフトを用いた自動点訳
これまでの点訳作業は、人が著作物を見ながら1字1字直接手で点字に置き換えることにより行われた。しかし最近は、情報処理機器等の発達により、コンピュータによる自動点訳が可能となった。著作権法第37条第1項では点字による複製の方法についてはなにも規定されていないため、自動点訳により点字資料を作成し提供すること自体は、著作権上特に問題はない。
 現行の著作権法第37条第1項が制定された時点では、点字による複製とは人が自ら点訳することを指し、自動点訳などは全く想定されていなかった。ところが自動点訳の処理過程では電子化された複製物が生成されるが、その電子化複製物の作成・利用については、現行法では規定されていないため、その取り扱いが間題となる。
 一般的な自動点訳の処理過程では、墨字で印刷されている著作物の内容をそのまま電子テキストにしたもの(墨字電子テキスト)と、最終的に点字を出力するために点字コードに変換した電子化テキスト(点字電子テキスト)の2種類の複製物が生成される。
 このうち、墨字電子テキストは、明らかに点字形態の複製物とは考えられず、法第37条第1項の適用範囲外の複製物であり、本来法第21条の複製権の適用を受けるものであり、その生成に当たっては著作権法の許諾が必要であると考えられる。しかし、墨字電子テキストは、点字資料作成の一連の過程のなかで、点字資料を作成する目的のためだけに用いられる一過性のデータとも考えられる。現状の自動点訳での墨字電子テキストの利用については、このような非常に制限された範囲内のみで一時的に蓄積し利用するものとして位置付けることにより、著作権者の許諾は必要ないとの考え方もあるが、この場合においても許容されるのはあくまでも一過性のものについてであり、保存して再利用することは許されない。しかし、点字は磨耗していくことがあらかじめ予想されるものであり、かつ簡単に複製が利くものではないことや、墨字電子テキストの状態でも音声化ソフトを利用することにより視覚障害者の情報保障に役立つものであり、著作権法上に盲人の点訳による例外規定が設けられるに至ったのは情報保障のためであったことを考えると、墨字電子テキストの保存と利用に関して、著作権法の制限が必要になるといえる。
 一方、点字電子テキストは、点字による複製物なのか、元の著作物の複製物なのか、判断が分かれるという指摘もある。しかし、点字電子テキストから本来の著作物を完全に復元することは技術的に難しいこと、また、点字資料作成以外に点字電子テキストが使用されることを想定するのは難しく、自ずと使用目的が限定されていることを考慮すると点字電子テキストは点字の複製物と考えられ、法第37条第1項の適用範囲内のものであり、著作権者の許諾なしに、保存し再利用することが可能ともいえる。点字電子テキストの利用により、著作権者の利益を著しく損なう可能性がなければ、現実的には余り問題がないのではないかと考えられる。いずれにせよ、このような点訳ソフトの利用に対応した規定の明確化等の措置がとられることが望まれる。
 
3) 点字電子テキストの共同利用
 身体障害者用の図書館資料はきわめて少ないため、身体障害者が学習・研究のために必要とする資料の提供は担当教官やボランティアの努力に負っている。特に視覚障害者用の点字資料については、これまで複数の大学で個別に行われている。筑波大学では、チューター制度を用いて資料の点字化に当たっている。さらに、自動点訳が可能となったことから、点在している点字電子テキストを図書館間で相互に利用する体制があれば、点字資料の有効利用と作成作業の効率化が可能となるので、関係者からはこの体制を作ることが強く要望されている。点字電子テキストのネットワークでの提供が許されるならば、点字資料を必要とする各大学図書館における点字資料の整備は飛躍的に促進される。また、身体障害者の生活にはパソコンなど情報機器が積極的に取り入れられ、重要な機能を果たすようになってきており、視覚障害者にとっても非常に有効な道具となっている。身体障害者の情報アクセスを改善するためには、電子テキストが有効であり、その充実と共同利用のための体制づくりが望まれている。その一環として、点字電子テキストをネットワーク上で提供し、図書館間などで共同利用することが実現できれば、各館で点字資料を効率的にプリントアウトし、利用者に提供することが可能となる。
 しかし、著作物をネットワーク上で提供する行為については、法第23条に次のように
定められている。
 
 第23条 著作者は、その著作物を放送し、又は有線送信する権利を専有する。
   2 著作者は、放送され、又は有線送信されるその著作物を受信装置を用いて公に伝達する権利を専有する。
 
 ネットワーク上に著作物を送信することは、この有線送信に該当する。有線送信の権利は著作者が専有することが規定されており、送信されるデータの形態などに制限などは設けられていない。したがって、点字電子テキストといえどもネットワーク上で送信することは、有線送信権に抵触することになり、著作権者の許諾なしに実行することは許されない。しかし、これは公に伝達することのみに制限を設けているので、点字電子テキストデータを所有する個人が、個人と私的にデータをやり取りする分には法に触れることはない。点字データのみが入っているフロッピーディスクを郵送でやり取りしても、視覚障害者のための規定として無料になり、また、同じ内容を電子メールでやり取りしても法に触れることはない。しかし、その点字データ(視覚障害者にしか使用されないデータ)をだれでもがダウンロードできる状態にしておくことは著作権法に抵触するのである。この状態は、視覚障害者の情報入手を困難にしており、点字を出力するための点字電子テキストに限っては法第23条の有線送信権が制限されるような措置がとられることが望まれる。
 
4) 録音資料と著作権
録音による著作物の複製については、著作権法第37条第2項に次のように定められている。
 
  第37条第2項 点字図書館その他の盲人の福祉の増進を目的とする施設で政令で定めるものにおいては、もっぱら盲人向けの貸出しの用に供するために、公表された著作物を録音することができる。
 
 ここでは、限られた図書館においてのみ、盲人向けの貸出の目的のためにのみ、録音による複製が認められている。録音できる図書館は著作権法施行令第2条に厳密に規定されており、それ以外の図書館では著作権者の許諾を得ずに録音により複製することは許されていない。公共図書館やボランティア・グループがたとえ視覚障害者のためであっても、録音図書・雑誌を製作するときには必ず著作権者の承諾を必要とするのである。また利用対象者も盲人のみに限定されており、弱視者などは対象者とされていない。このように録音できる図書館が制限されているのは、録音資料は点字資料と異なり、一般の健常者でも利用可能な形態であり、目的外に利用される可能性が高いことなどを配慮したためである。 この著作権法の条項については、視覚障害者や図書館関係者から改正してほしいという要望が強く出されている。視覚障害者の情報障害を少しでも緩和するために、たとえ公共図書館であっても視覚障害者を目的にサービスするのなら、許諾を得なくても製作できるようにしてほしいという主張である。一般に点字図書館の蔵書数は極めて少ない。多くの蔵書を持つ公共図書館や国立国会図書館に視覚障害者は録音を依頼できるが、これらの図書館は著者からの許諾を待って録音に取りかかるので、待つ間に数カ月が空費されたり、「私の作品は活字で読むもので、聞くものではない」などという理由で著者から拒絶されたりもする。録音図書を必要とする障害者は視覚障害者だけではない。入院や在宅でベッドから起きて読書できない人や上肢の障害で本の頁をめくれない人、そして、ある種の知的障害者にも録音図書は欠かせない。しかし、著作権法37条によって製作された録音図書は視覚障害者以外には貸し出せない。これは、点字図書館以外の図書館が著作権者の許諾を得ないと蔵書を録音して貸し出せないことと共に現行著作権法の欠陥であると考えられる。
 
5) 同一性保持権
絵画の作品の作者は、作者以外の持ち主が勝手に改ざんすることを許さない権利を持つ。この権利は同一性保持権と呼ばれ、経済的権利とは区別される著作者人格権に属する。この権利の保障は、作品の買い主が勝手に改ざんして原作品が失われることを防止する効果も持つ。改竄を防止するための同一性保持権を論拠に、視覚障害者が録音図書を用いて作品を鑑賞する機会を封ずるのは、権利の濫用である。録音図書の製作は原文に忠実に行われるものであり、国際的にも、印刷された言語の作品を録音することは「複製」とされ、同一性保持権に抵触することは無いとされている。音声合成装置による出力を録音する場
合も同様に複製として扱われると思われる。
 
3 点字・点訳と視覚障害者
1)点字のしくみ
点字は縦3点、横2列の6つの凸点の組み合わせによって構成されている。点字は横書きで、左から右へ凸点を読んでいく。こちらを仮に紙の表とすると、書く場合は紙を裏返して、右から左へ凹点を打っていく。凸面から見て左の3点を上から@の点、Aの点、Bの点といい、右をCの点、Dの点、Eの点という。点字は母音と子音の組み合わせで構成されている。@,A,Cの点で母音を表し、B,D,Eの子音を表す。これを組み合わせて、清音一音を一マスで表す。濁音、半濁音、拗音、拗濁音、拗半濁音は二マスを使用し、はじめのマスに濁点を表す点を、次のマスに清音を打つことで表現する。数字は数符を、アルファベットは外字符を前置し、それぞれに割り振られた点の組み合わせで表現する。
かな遣いとしては、点字独特の規則がある。
・清音・濁音・半濁音は現代かな遣いに準じて書く。
・助詞の「は」「へ」は、発音する通りに「ワ」「エ」と書く。ただし、助詞の「を」は発音にかかわらず「ヲ」と書く。
・う列・お列の長音のうち、現代かな遣いで「う」と表記されるものは、長音符を添えて書く。
*終止形の動詞の活用語尾の「う」は長音ではないため「う」と表記する。
・さ行・た行の濁音は、現代かな遣いで使い分けている通りに表記する。
 
 点字には漢字がなく、また、ひらがなとカタカナの区別もない。基本的に、かな、数字、符号類で構成される。そのため、意味の理解を容易にするために、分かち書き(マスあけ)が必要になる。点字は基本的に文節で分かち書きをしているが、これには様々な規則があり、いくつもの例外が存在するため、同じ本を点訳しても、分かち書きの表記が異なることがある。
 
2)情報入手の実際
視覚障害者が、資料として参照できる状態(点字)で情報を入手するためには、実際にどのような過程がとられているのかについて解説する。
点訳はその用途や目的によって2種類に分けられる。一つ目は「ハリーポッターシリーズ」などのように、図書として多くの視覚障害者に利用される、文学作品などである。「ハリーポッターシリーズ」のような、ベストセラーの話題作であれば点訳の需要が多く、各地の点訳ボランティアのグループや点字図書館に蔵書としてある可能性は高い。もし点字図書としての蔵書になかったら、点訳ボランティアや点字図書館に依頼して点字図書を作ってもらい、自分が利用した後は点字図書館に寄贈し、他の視覚障害者に利用してもらう。いわば公的な「点字図書」を作成するための点訳である。したがって、これを点訳する点訳ボランティアには、点訳スキルが求められることになる。点訳のために著作権法上で認められた「複製」とは、「原本との同一性」が条件となっているからである。
もうひとつは、自分の研究分野の資料や大学の授業で使用する資料など、ほぼ個人的な資料の点訳である。これらの情報は、すでに点字になっている場合というのは非常に少ない。点字図書館にも蔵書がない場合がほとんどであると思われる。これらは点訳しないと情報の内容を知ることができない。そこで、点訳を依頼することになる。各地に点訳ボランティアのグループは存在するが、原本を郵送し、それを点訳してもらって、また郵送してもらうため時間がかかり、例えば授業で使う資料であるので緊急に点訳が必要となる場合などには向かない。筑波大学ではチューター制度を利用して点訳を行っているが、このように、本人の身近な機関に資料の点訳化を保障する制度があることが重要となる。このような個人レベルの点訳では、すぐに情報を手に入れることが求められており、ほぼ自分一人の点字資料の使用となるため、多くの視覚障害者は点訳の質より早さを重視する傾向にあると思われる。本来ならば点訳には原本との同一性が求められるが、この場合は「スキルがなくてもできるが正確性に欠ける、しかしすぐできる」点訳、つまり点字データ変換ソフトを使用した自動点訳が行われることが多い。以下にその手順を示す。
@スキャナで原本を取り込む。
AOCRソフトを使用して、画像から墨字テキストデータを拾い出す。
B原本と見比べながら墨字電子テキストデータの校正をする。
C点字データ変換ソフトを使用して墨字電子テキストデータを点字電子テキストデータに変換する。
D点字電子テキストデータを点字プリンタで紙に出力する。
この手順では、Bまでは晴眼者に依頼しなくてはならないが、Cからは視覚障害者が自分で操作することができる。また、Bまでの過程で、点訳スキルは求められない。もし点訳スキルを持った人がいれば、Cの後に、点訳ソフトがカバーできなかった部分の点訳校正を行うことによって、正確性を補うことができる。
 
まとめ
 点字は、情報障害者とも呼ばれる視覚障害者に、晴眼者と同等の情報を保障するために、原本のテキストデータからの正確性を重視して発展してきた。著作権法でも「複製」が認められているということは、点字は原本どおりに、正確に情報を伝えているということが認められ、また、原本との同一性を保持することが義務付けられているということでもある。しかし、文学作品にはテキストデータ以外の情報も少なからず含まれている。それを第2章で検証する。
 
第2章 文学作品の点訳、墨訳についての研究(研究U)
1 文学作品の視覚的側面
 日本語は漢字かな混じり文で表記される。文学作品の中には、物語のプロットのようなテキストデータで表される情報のほかに、漢字やひらがな、カタカナの使い分けや、ルビ、装飾を付すことや、字の大きさや書体を変えることにより、印刷された紙面を読者が見たときに受ける印象をあらかじめ計算して表記法を選んでいるのであろうと思われるような作品がある。例えば、資料1では、各登場人物の台詞ごとに書体を変えることで、その書体に登場人物の印象を投影する効果を生み出している。また、手紙は枠で囲み、書体を変えることで手紙らしい雰囲気を演出している。他にも、作中の書名は地の文とは別の書体で書かれている。
また、日本語に独特の表記として、漢字や単語に通常の読みとは別の振り仮名を振る場合もある。
 一方、あえて実験的な手法を作品に取り入れたものもある。資料2では、うわさが伝播していく過程をチャートのように四段組で表している。この作品の形式は、通常の印字書籍としても扱いにくかったため、長らく文庫への収録が見送られた作品であると著者が語っている。
 このように、文学作品は単にテキストデータとして表される情報に加え、視覚的な要素も含めて作品として成り立っているものがある。
 
2 文学作品と点訳との比較
 資料3は、J.K.ローリング著 松岡佑子訳「ハリーポッターとアズカバンの囚人」(2001)p378−379 と、その点訳である。原本では、ハグリットからの手紙は枠線がよれて表現され、涙でインクがにじんだことを表すように所々にいびつな楕円のアミがかかっている。
これは、英国で出版されたシリーズの日本語版であり、英国版にはない視覚的な表現であるが、手紙部分の直前に「羊皮紙は湿っぽく、大粒の涙であちこちインクがひどく滲み、とても読みにくい手紙だった」とある部分を一目でわかりやすく表現し、かつ臨場感を高める効果を生んでいる。書体も、地の文とは異なり、やや太い線で書くことで手紙の差出人の性格や特徴を出している。まるで実際に登場人物が書いた手紙を見ているような、ひいては自分がまるで登場人物であるかのような臨場感を味わうことができる表現方法であるといえるだろう。
 一方、その点訳を見てみると、テキストの部分では原本と同じである。ただし、点訳の規則にしたがって、例えば助詞の「は」などは、「わ」と表されている。手紙部分は、宛名を四マスさげ、さらに差出人部分を行末にぴったり収まるように行頭のマスあけを調節するという、点字で手紙を表す様式で書かれ、「手紙部分である」ことがわかるようになっている。まるで、実際の手紙文であるかのようなこの表現も、原本での工夫と同じような効果を生むであろうと思われる。
 ただ、墨字の原本では、「羊皮紙は湿っぽく、大粒の涙であちこちインクがひどく滲み、とても読みにくい手紙だった」とあるうちの、「大粒の涙であちこちインクがひどく滲」んでいることまで表現していたが、これは視覚的な表現であるため、点字で再現することは非常に難しい。
 たとえば、難しい漢字の読みや、点字では明らかにわかりにくいことなどは、点訳者が読みや意味を括弧書きしたり、「点訳者注」記号で囲んで注をつける場合がある。この点訳データではそうしていないが、例えば「控訴」というのは漢字で見れば意味がわかるが、点字で読んだときに「コーソ」と書いてあっても、何を意味するのかわかりにくい。「こうそ」の同音異義語には、酵素・皇祖・高祖・公租などがあり、その上、「公訴」という非常に似た意味であるが別の語もある。控訴は、「上級裁判所に再審理を求めること」であり、公訴は、「検察官が裁判所に審理を求めること」である。この場合、「コーソ」と書いた後に、区別のためどの漢字を使っているかや、意味を書くことで不要な誤解を避けられる。
 しかし、このインクのにじみはテキストとしてすでに提供されたものを視覚的にわかりやすく表したものである。ここで、点訳の中に「墨字の原本ではまるで実際の手紙であるかのようにインクのにじみが網をかけて表現されている」という情報は必要だろうか。もし入れたとすれば、点訳版を読む人はそこで物語からはなれて解説を読むことになる。それでは、臨場感を高める効果は効かず、むしろ逆の効果を生んでしまうだろう。訳者の松岡氏は、日本人からはわかりにくいイギリスの文化が盛り込まれたハリーポッターシリーズを訳す上で、注をつけずにテキストの中に文化的側面も入れて訳すという方針をとっているが、それは読者に物語の中に没頭して欲しいためだそうである。つまり、本文以外に注などの情報がないほうが集中して物語を味わえるということだろう。しかし、かといって視覚的な情報が一切切り捨てられては、楽しみも半減してしまう。このあたりは、点訳者とその利用者に交流があれば口頭で伝えたり話題にするなどして視覚的な楽しみを共有できるのがいいのだろうが、点字図書館の蔵書とその利用者などではそれもできないであろうから、臨機応変に対応しているというのが現状だろう。
 
3 文学作品と、点訳した文学作品の墨訳との比較
 墨字を点訳する際には一定のルールがあり、そのルールに従えば、誰が点訳しても同じものができあがる。しかし、その逆、つまりもともと点字で書かれたものを墨字にする際には、明確なルールはなく、原作者の意図どおりに墨訳されない可能性がある。しかし墨訳者によってどの程度の違いが出るのかということはわかっていない。そこでここでは、何人かの墨訳と原本を比較する。
 しかし、点字で書かれたものを墨字にするということは、被験者に点字の知識が求められるということである。点字の知識を持った被験者を集められなかったため、点字で書かれたように表記した(つまり、ひらがなのみで分かち書きをした墨字の)文書を、漢字かな混じり文に直してもらうという方法をとった。
 また、比較が目的であるため、点字オリジナルのテキストではなく、墨字で発表されている文学作品「走れメロス」を原本として採用した。被験者は、当初18歳以上の男女6名を予定していたが、その場に居合わせた小学5年生から中学2年生までのデータも参考としてとることができた。この実験は結果として、「ひらがなで書かれた文章をどのように漢字表記するかについての個人差」を測ったものになったため、各人の墨訳における漢字率を測定した。また、書きたい漢字を思い出せずに書けない被験者がいたため、意図した漢字率も測定した。実験に用いた原本・比較資料・漢字率データは最終ページに付記した。
 中学生以下は参考値ではあるが、年齢が上昇するにしたがって、漢字率が上昇する傾向がみられた。高3男子以上は、いずれも漢字率が30%前後であり、年齢と漢字率に相関はみられなかった。ほとんどの被験者が、漢字表記にしたいと思った部分の漢字を、実際に書いてみるとわからなかったり思い出せなかったりした。その最たるものは「邪智暴虐」であり、なじみのない単語であることが原因であると考えられる。高校生以上では、書きたいけれど字がわからないという漢字は少なく、この文章内で想定されるほとんどの漢字を理解できていると考えられる。漢字率は27〜30%の範囲内であるが、各人によってどの単語をひらがな表記にし、どの単語を漢字表記にするかにはかなりのばらつきが見られた。29.5%の原文ともっとも近い数値(29.65%)を出した高校3年男子の文章を比べてみても(比較資料)、19箇所の相違がある。原文ではひらがなとなっている「かの」を、あまり表記されないような漢字の「彼の」と表記したり、「はるばる」を漢字で「遥々」と表記したり、できるだけ漢字で表記しようとしたようである。かと思えば、「迎えること」を、「迎えるコト」とカタカナで表記したり、「ぶらぶら」をカタカナで「ブラブラ」と表記したり、漢字率でいうと似たような数値になるが、その内容は各人の漢字やカタカナに対するセンスによって、かなり違っているということがいえる。受ける印象も、「ぶらぶら」と「ブラブラ」ではどこか違って感じられる。ここまでの違いではないが、他のものも原本と比較するとそれぞれに5,6箇所以上の違いがあり、被験者同士でも、同じ、または非常に似た漢字表記にした者はいず、やはり5,6個所以上の表記の違いが見られた。
 この実験の結果から、点字を墨字漢字かな混じり文に変換する際には、墨訳者によって選択される漢字にかなりの偏りが生じるのではないかと思われる。
 
第3章 まとめと総合考察
 点訳や墨訳におけるオリジナルテキストとの同一性や再現性という視点で研究を行った。点訳に関しては、テキスト部分はオリジナルと同一のものを作成できることがわかった。視覚的な表現に関しては、点字でまったく同じものを再現するのは難しいが、同じ効果を生む方法を工夫して点字表記に沿って点訳したり、注として入れたり、点字ではない方法で情報を伝えたりなど、臨機応変に対応することが望まれる。墨訳に関しては、墨訳者によって、オリジナルテキストと特に漢字表記の面においてかなりの幅が出るであろうことが示唆された。また、漢字率は一定の指標にはなるがその内容は人によって大きな相違があることから、墨訳の際には漢字率とあわせて、一定の指標を求めることが必要となると思われる。
 また、現在ワープロ機能を使いこなす視覚障害者はみずから晴眼者と遜色ない墨字での漢字かな混じり文を作成できることを考えると、墨訳するという状況は、視覚障害者に点字しか表記法が無かった時代の人が残した文章や、盲学校での生徒の作文などが主になることが考えられる。そういった場合に、その学年や年代相応の文章らしさに墨訳する際には、実験で得た漢字率が指標となると考えられる。
 今回は墨字の作品を点訳したり、それをまた墨訳したりという過程で墨字情報がどのように変化していくのかという視点からの検討が主となったが、逆に点字使用者独自の表現といえるものもある。墨字で言うとアスキーアートのように、点で字を表さずにハートや星などの図や記号を表したり、かなも数字も英字もある同じ組み合わせを使用していることを利用して、隠語や暗号のように数字をかなで表したり(例えば2003はかなでは「いろろう」に相当)、上下を逆にして無理やり読んで遊んだり、点字は磨耗していくために点が磨り減ってしまって結果的に誤字になったり、また、誤字のパターンも墨字とは全く違ったものになり、思わず笑ってしまうようなものになるときもある。点字も、墨字と同じく表現豊かで奥深い世界がある。今後は点字の側面からも検討をすすめていきたい。
 
比較資料:原文
メロスは激怒した。必ず、かの邪智暴虐の王を除かなければならぬと決意した。メロスには政治がわからぬ。メロスは、村の牧人である。笛を吹き、羊と遊んで暮して来た。けれども邪悪に対しては、人一倍に敏感であった。きょう未明メロスは村を出発し、野を越え山超え、十里はなれた此のシラクスの市にやって来た。メロスには父も、母も無い。女房も無い。十六の、内気な妹と二人暮しだ。この妹は、村の或る律気な一牧人を、近々、花婿として迎えることになっていた。結婚式も間近かなのである。メロスは、それゆえ、花嫁の衣装やら祝宴の御馳走やらを買いに、はるばる市にやってきたのだ。先ず、その品々を買い集め、それから都の大路をぶらぶら歩いた。メロスには竹馬の友があった。セリヌンティウスである。今は此のシラクスの市で、石工をしている。
 
比較資料:高校3年男子
メロスは激怒した。必ず、彼の邪知暴虐の王を除かなければならぬと決意した。メロスには政治が分からぬ。メロスは、村の牧人である。笛を吹き、羊と遊んで暮らしてきた。けれども邪悪に対しては、人一倍に敏感であった。今日未明メロスは村を出発し、野を越え山越え、十里離れたこのシラクスの市にやってきた。メロスには父も、母もない。女房もない。十六の、内気な妹と二人暮らしだ。この妹は、村のある律儀な一牧人を近々花婿として迎えるコトになっていた。結婚式も間近なのである。メロスは、それゆえ、花嫁の衣装やら祝宴のご馳走やらを買いに、遙々市までやってきたのだ。まず、その品々を買い集め、それから都の大路をブラブラ歩いた。メロスには竹馬の友があった。セリヌンティウスである。今はこのシラクスの市で、石工をしている。
 
資料:漢字率
     
 
実際の数値 意図した数値  
漢字数/総字数 漢字率 漢字数/総字数 漢字率  
小4女子 21/409 5.13% (21/409) 5.13%  
小5女子 29/411 7.06% (29/411) 7.06%  
小6女子 57/381 14.96% 58/380 15.26%  
小6男子 63/377 16.71% 64/376 17.02%  
中1女子 59/380 15.53% 61/378 16.14%  
中2女子A 16/414 3.86% 18/412 3.40%  
中2女子B 57/382 14.92% 62/378 16.40%  
中2女子C 69/375 18.40% 77/369 20.87%  
高3男子 (102/344) 29.65% 102/344 29.65%  
短大2女子 (100/345) 28.99% 100/345 28.99%  
大学4女子 95/348 27.30% 96/347 27.67%  
大学院2男子 93/342 27.19% 96/339 28.32%  
女性(45) 98/349 28.08% 101/346 29.19%  
男性(45) 104 /344 30.23% 105/344 30.52%  
原文 103/349 29.50% 103/349 29.50%