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 いまでもパソコンの不慣れな私がこれまで一太郎について知っていた情報といえば、それがwordと同じ文書作成用のソフトである、ということくらいであって、それ以外は殆ど知らなかったし、今も知っているとはいえない。それに、パソコンを持っていない私にとって、使用するパソコンは専ら学校のものであり、それにはすべてwordが備わっているから、一太郎を使ってみようとも、使ってみたいとも思わなかった。今回この通信印刷文化論のレポート課題によって、初めて一太郎というものにふれることとなり、wordとの違いを体験することができた。このようなきっかけがなければおそらく一太郎にふれることはなかったかも知れないので、今回このようなレポート課題が出題されたことに感謝している。
 さて、実際にword と一太郎を比較する前に、私が以前からwordに対して抱いていた不満の一つを述べておかねばならない。大学に入ってからwordを使用する機会が多くなってきたのだが、レジュメ等を作成する際にいつも気になっていたのが、箇条書きの時などによく起こる、文の先頭の文字の縦ずれであった。wordは半角を基準にしているため、英数字を文に混ぜたりするときや、句読点の数などで文頭の文字の位置がずれてしまうのである。便宜上は全く問題ないのだが、やはり印刷して全体を眺めてみると見栄えがせず、納得がいかないことが多かったのだ。また、このような場合に限らず、通常の文章中において、上の行の文章の文字と、下の行の文章の文字に縦ずれが生じるのも、そもそも気にくわなかった。
 しかし、一太郎ではこのような問題は皆無である。確かに、原稿用紙でいう、行末のマスに文字と句読点を一緒に詰め込まなければならない状態になってしまった場合は上の行の文字と下の行の文字との縦ずれは起きてしまうが、それ以外ではそのような事態が起きなかった。考えられる主な要因として、まず、英数字を使用したときに、直後の段階で縦ずれの調整がなされていること、更に、全角を基本としているため、括弧やカンマなどを選ぶ際に半角の選択肢がないことなどが考えられる。
 このように、全角を基準にしているか半角を基準にしているかという一見大したことのない基準の差で、日本語の文書作成における便利さに違いが生じるということはwordと一太郎における大きな相違点であり、それと同時に、日本語文書作成における、一太郎の
wordに対する有用性を示すものでもあろう。
 この点以外にも、一太郎がwordよりも優れていた点はほかにもみられた。まず文字変換がwordと比べてやや性格である。これは文節の区切りがwordよりも性格であるためであると考えられる。基本語彙数も一太郎の方が多い。また、これに関連して、変換をしないまま比較的長い文章を打っていても誤変換、または意図にそぐわない変換がなされる可能性が低い。これは文章をスムーズに打つ上で非常に便利である。他にも、明らかに基本的な語の打ち間違えで、さらに打ち間違えた元の語が推測されるようなものは、変換の際にコンピュータが直してくれることなども挙げられるであろう。
 しかしながら、だからといって一太郎が万能な訳ではなく、wordの方が優っている点もみうけられた。たとえば、文字変換は一太郎の方が正確であるが、それでもなお誤変換が起こった際の調整は、wordの方が明らかに簡単である。これは私がwordに慣れてしまっているということもあるかも知れないが、それを差し引いても、wordの方が、作業がシンプルであるように思われる。また、打ち間違いなどに気づかずにいた場合、wordはその部分に色つきのラインが引かれるが、一太郎にはその機能がない(もっともこれは使用したソフトの新旧の度合いによるものかもしれないが。)
 また、優劣以外の点における差異もみられた。それはwordと一太郎の行間におけるスペースの差である。今回、wordと一太郎の違いを実感するために、同じ内容の文章を、wordと一太郎の両方で打ち比べてみたところ、仕上がったページ数が異なっていた。そこでフォントサイズを10.5に設定し比較してみたところ、1ページあたり、wordは36行、一太郎は40行であった。これらの違いが日本語の文書においてどう影響するかはわからないが、少なくともレポート作成に追われる大学生にとっては、提出の際に枚数に厚みがでるという点において、wordの方が便利かも知れない。
 以上が、私が今回両ソフトを比較して感じた差異である。これらの結果から言えることは、いくつかの扱いにくい点はあるものの、一太郎にはwordにはない日本語文書に対する適応的機能が備わっており、日本語文書作成に適している、ということである。現在裁判でアイコンの著作権を巡って一太郎の販売会社と松下電器が争っており、一太郎側が敗訴すれば一太郎等の販売が禁止されるそうであるが、もしそれが現実になったとしたら、誠に残念である。