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ワードと一太郎の比較を行い、さらにそれを通じて日本語印刷の効率化における割り付けの重要性を考察する。
 まず実際に二つを使い比べてみた。ただし、何の手がかりもなく始めても違いが分からないのでインターネット掲示板などでの意見を参考にしながら行った。以下に気づいたことを列挙する。
@ 一太郎はワードに比べて日本語の変換がスムーズである。
A ワードは文章が途切れるごとに文章のチェックを行う。
B ワードは段落変更の際自動で一文字下げたり、下げなかったりする。
C 罫線を引いた際にワードだと場合によって改ページされる。
D 一太郎を使うと文字が一直線に揃う。
E ワードの場合は文字によって幅が若干違う。
 このことを元に日本語印刷の効率化における割り付けの重要性を考えたい。
 まず、ワードはマイクロソフト社によって作られた英語主体のソフトであり、一太郎は日本語主体のソフトであることを念頭に置かなければならない。上に述べた違いはいずれもそのことが原因となっている。
 @、Aは入力した文章を校正する機能が英語に特化しているか、日本語に特化しているかの違いである。ワードを使って日本語を入力するとしばしば漢字変換に手間取ったり、方言を入力した時にエラーメッセージが出たりする。一方、一太郎で英文を入力するとどんなに意味の通らない文章を入力しても手直しをしてくれない。この要素は両ソフトで最も顕著に違いが現れている点ではあるが、印刷段階では影響を及ぼさないため考慮に入れる必要は無いと思われる。
 Bに関して、私は規則性を見つけられなかったのではっきりしたことは言えないが、おそらく日本語と英語の文章構成の違いによるところが大きいと考えられる。英語は一定の型を持った文章構造をしており、ワードのこの機能はその構造に沿っているのではないだろうか。
 Cは私がワードを使っている中で最も扱いづらく感じていた点だ。ワードで罫線を引いて表などを作成した場合、その大きさがページ内に収まらないと自動的に次のページに移されてしまう。一方一太郎では表が大きすぎる場合でもページを跨いで表示することが可能である。この違いは図などを挿入する際にも同様のことが言える。
 D、Eは今回注目すべき点である。一太郎は日本語を入力すると縦の位置が揃うのに対し、ワードではばらばらになってしまう。何故ワードでは揃わないのだろうか。それはまさに英語の文章を作ることを前提としているからである。正方形の形に収めるのが美しい日本語とは違い、英語の文字は真四角の枠にはめようとするとどうしても無駄な余白が開いてしまうものがある。「i」はそのいい例だ。今この文章はワードで作成しているので実際文字を並べてみよう。ちなみに明朝体を使った場合は無理やり半角に一文字入れているようである。
abcdefghijklmnopqrstuvwxyz
abcdefghijklmnopqrstuvwxyz
上の二つは上段が明朝体で、下段がCenturyである。iとjなど明らかに大きさが違っている。このように文字の横幅はその文字次第という風にしているためにワードでは縦の位置が合わない。また英語は単語の途中で行を変えると非常に読みにくくなるのでそれを回避するようにワードは作られており、その機能が位置をますますばらばらにしている。この違いがまさに今回日本語印刷の効率化を考えるうえで取り上げるべき点だ。では、このことはそれにどのように影響したのか。
 そもそも効率化とはどういうことであっただろうか。印刷においてそれは、より短期間により多く作ることであるだろう。ではそれを実現するにはどうすればいいか。幕末・明治に導入された活版印刷は判子のように一文字一文字を作っておき、それを文章どおりに並べて元になる土台を作る。そしてそれを一枚ずつ紙に押していくものであった。この作業の中で最も時間がかかる作業は間違いなく文字を並べていく作業だ。新聞の一枚にしても気が遠くなるような量の文字を並べなくてはならない。そこでこの全角のマスによる割り付けが重要なものとなる。1ページまたは一行に予め何文字入ると分かっていれば分業がスムーズに行える。1ページ目を並べ終えずとも2ページ目、3ページ目の並び方が分かるのである。たとえ1000枚の枚数の本であろうと1000人の人を使えば一人の人が一枚分作る時間で1000枚分ができあがる。この方法を使えば印刷はより効率的に行えたに違いない。
 また、文字数の計算がしやすいということは何よりもスペースを慎重に割り振らなくてはならない新聞において非常に役立ったと思われる。私自身高校時代に部活で作っていたのだが、新聞はある記事を担当する時行数で書くべき分量を指定される。そうしなければ限りある紙の中に記事を入れていくことができなくなるからだ。そこで、行数を指定されれば即座に書くべき文字数が計算できることはとても大切である。何故なら先ほども述べたが、文字を並べるのは手間のかかる仕事だからだ。並べてみたら文字数が多すぎた、または少なすぎたからやり直そう、などということをしていては効率化を図れない。
 以上のように全角を一単位として文字数とページの分量を計算する方法は日本語印刷の効率化を支えてきた。そして、そのような方法により長年文章を作成し、その文章を読んできた日本人の感覚に基づいて一太郎は作られている。一方、ワードもまた英語圏の文化を反映して作られているのだろう。
私はワードしか使ったことがなかったため、これが普通だと感じ、一太郎と比較してみてもなかなか違和感のようなものが見えてこなかった。しかし両者ともにそれぞれの印刷文化の流れの中で生まれたものであるため外見は似ていても歴史は異なる。今日両ソフトともにバージョンアップを重ね、初期のものよりは歩み寄りをみせているらしい。パソコンを通じた印刷文化の統合が実現する日も遠くはないだろう。
<参考> IchoTaro Web: http://www.ichitaro.com/