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二巻解題
 
                                    山下 浩
『倫敦消息』
『倫敦消息 其二』
『倫敦消息 其三』
 
 漱石は明治三十三年九月に英国留学へ出発し、同三十六年一月に帰国した。この間に漱石は「生涯親友」正岡子規をなくしたが、『倫敦消息』三編のもとはいずれもロンドンに到着半年後に漱石が子規に書き送った私信である。
 このあたりの事情については、『吾輩ハ猫デアル 中編』(初版 明治三十九年十一月四日発行)の「序」で漱石自ら詳しく語っている。この中で漱石は、余命幾ばくもない子規が、明治三十四年十一月六日にロンドンの漱石へ書き送った「撲ハモーダメニナツテシマツタ、」に始まるカタカナまじりの手紙を引用している。何ともいいようのない悲しい文面である。子規には、漱石の私信『倫敦消息』が非常に面白かったようで、「若シ書ケルナラ僕ノ目ノ明イテル内ニ今一便ヨコシテクレヌカ(無理ナ注文ダガ)」と頼んでいるが、漱石は子規の依頼に答えられなかった。
 一回目の『倫敦消息』は、『ホトヽギス』第四巻第八號(明治三十四年五月三十一日発行、十五頁から二十頁)に掲載された。文末に執筆日時「四月九日夜」が記されている。同じ号(付録十五頁)の「消息」欄(署名なし)の中に、「在英漱石君よりの消息本號掲載の外尚二通有之候。これもと記者へ宛てたる私信、これを誌上に掲ぐるに就いての一切の責任は記者に在ること勿論に候。」とある。
 『倫敦消息 其二』と『倫敦消息 其三』は『ホトヽギス』第四巻第九號(明治三十四年六月三十日発行、十一頁から二十四頁)に同時に掲載されたが、前者の文末には(四月二十日)、後者の文末には(四月二十六日)の日付がある。同誌(付録二十頁から二十二頁)の「消息」欄(文末には「明治三十四年、七月五日虚子記」と署名もある)には、「本號は漱石君の書翰を以て殆ど一半を埋め候。漱石君に對しては斷り無く紙上に公にしたる事を謝し、讀者諸君に向つては此の文字を掲載し得たることを自負致し候。」と書かれている。
  雑誌『ホトヽギス』について詳しくは当復刻全集第三巻の「漱石の雑誌小説本文について」を参照されたい。第四巻第八號は本体五十頁と「募集俳句」欄以降の附録十八頁及び広告四頁からなっている。第四巻九號は本体四十頁と「募集俳句」以降の附録二十四頁及び広告四頁からなっている。
 『倫敦消息』、『其二』、『其三』の復刻に際しては、(1)に示す十二部を校合し、『其二』と『其三』について(2)のような異同・欠字の類を発見した。復刻の底本には保存状態の良好な山下本を用いた。
 
(1)(共立)共立女子大学附属図書館、(慶応)慶應義塾大学三田メディアセンター図書館、(国会)国立国会図書館、(早大)早稲田大学中央図書館、(都立)東京都立大学附属図書館、(東女)東京女子大学附属図書館、(日芸)日本大学芸術学部附属江古田図書館、(一橋)一橋大学附属図書館、(明大)明治大学附属図書館、(明文)東京大学法学部附属近代法政史料センター明治新聞雑誌文庫、(山下)山下浩、(立教)立教大学附属図書館
 
(2)異同箇所(□印は欠字その他問題の箇所をさす)
 
『其二』
 
・一一頁上段一四行
 矢張大□の処で   校合本すべてで消えかかった「」。
 
『其三』
 
・一九頁上段一六行
 大抵通□るから   校合本すべてで不鮮明な「ず」。
 
・一九頁下段一四行
 吾輩□為に   校合本すべてで不鮮明な「の」。
 
 
 
『倫敦より』
 
 『倫敦より』は『ホトヽギス』第五巻第五號(明治三十五年二月十日発行、三十頁から三十一頁)の「歐州より來?」の一部として「巴里より 不折」とともに掲載された。
 復刻に際しては、(1)の十二部を校合し、(2)に示すような異同・欠字の類を発見した。復刻の底本には保存状態の良好な山下本を用いた。
 
(1)(共立)共立女子大学附属図書館、(慶応)慶應義塾大学三田メディアセンター図書館、(国会)国立国会図書館、(早大)早稲田大学中央図書館、(都立)東京都立大学附属図書館、(東女)東京女子大学附属図書館、(日芸)日本大学芸術学部附属江古田図書館、(一橋)一橋大学附属図書館、(明大)明治大学附属図書館、(明文)東京大学法学部附属近代法政史料センター明治新聞雑誌文庫、(山下)山下浩、(立教)立教大学附属図書館
 
(2)異同箇所(□印は欠字その他問題の箇所をさす)
・三〇頁上段六行目(この頁は慶応本を使用)
 何□。若し   共立 国会 早大 日芸 一橋 明大 明文 山下
 何だ。若し   慶応 都立 東女 立教
 
 
 
『倫敦来信』
 
 『倫敦来信』は、『ホトヽギス』第六巻第六號(明治三十六年二月十五日発行、五二頁から五三頁)に六号活字で掲載された。漱石は一月に帰国していた。
 復刻に際しては、(1)の十部を校合し、(2)に示すような異同・欠字の類を発見した。復刻の底本には保存状態の良好な山下本を用いた。
 
(1)(共立)共立女子大学附属図書館、(慶応)慶應義塾大学三田メディアセンター図書館、(都立)東京都立大学附属図書館、(東女)東京女子大学附属図書館、(日芸)日本大学芸術学部附属江古田図書館、(一橋)一橋大学附属図書館、(明大)明治大学附属図書館、(明文)東京大学法学部附属近代法政史料センター明治新聞雑誌文庫、(山下)山下浩、(立教)立教大学附属図書館
 
(2)異同箇所(□印は欠字その他問題の箇所をさす)
・五三頁一〇行
 無理□りに   校合本すべてで不鮮明な「や」。
 
 
 
『自転車日記』
 
 『自転車日記』は『ホトヽギス』第六巻第十號(明治三十六年六月二十日発行、二十一頁から二十九頁)に掲載された。英国留学より帰国後の執筆である。
 『自転車日記』の本文で最大の特徴は、句点(。)が存在しない古風な文体だということである。というよりも、森鷗外の『舞姫』(自筆原稿、初出『國民之友』共)に似て、読点(、)が句点の代わりに用いられている。『ホトヽギス』の中でもこの種の文体は皆無であるが、漱石はなぜこのような書き方をしたのであろうか。どのような用紙を用いたのか興味があるが、自筆原稿は現存しない。
 復刻に際しては、(1)の十二部を校合し、(2)に示すような異同・欠字の類を発見した。復刻の底本には保存状態の良好な山下本を用いた。
 
(1)(共立)共立女子大学附属図書館、(慶応)慶應義塾大学三田メディアセンター図書館、(国会)国立国会図書館、(早大)早稲田大学中央図書館、(都立)東京都立大学附属図書館、(東女)東京女子大学附属図書館、(日芸)日本大学芸術学部附属江古田図書館、(一橋)一橋大学附属図書館、(明大)明治大学附属図書館、(明文)東京大学法学部附属近代法政史料センター明治新聞雑誌文庫、(山下)山下浩、(立教)立教大学附属図書館
 
(2)異同箇所(□印は欠字その他問題の箇所をさす)
・二五頁上段三行目
 居ます□自転車   校合本のほとんどで不鮮明な(」)。
 
 
 
『倫敦塔』
 
 『倫敦塔』は『帝国文学』の第拾壹巻第壹号(明治三十八年一月十日発行、一〇頁から三七頁)に掲載された。
 『帝国文学』は、東大関係者によって結成された帝国文学会を母胎とし、明治二十八年一月から毎月発行(臨時増刊あり)の文芸雑誌である。漱石は明治三十六年四月に井上哲次郎、上田万年、芳賀矢一、大塚保治、藤代禎輔ら十名余と共に一年間評議員に選ばれている。漱石はちょうど一年前の『帝国文学』に「マクベスの幽について」という論文を発表していた。本巻に収録の『趣味の遺伝』も同誌に発表されたものである。しかし今日の我々にとって最も馴染みのある『帝国文学』掲載作品は、だいぶ後の芥川龍之介『羅生門』(大正四年十一月)であろう。
 『帝国文学』の判型は菊判であるが、菊判については、第三巻に収録の「漱石の雑誌小説本文について」を参照されたい。『帝国文学』の誌面は、『ホトヽギス』の本体など当時の雑誌に多かった二段のベタ組(活字と活字の間を空けないで組む一般的な組み方)ではなく、段ヌキ(一段)、四分アキ(べた組に対して文字と文字の間に四分の一のスペースを入れる組み方。読みやすいが、植字職人の手間が大きい)のぜいたくな印刷物である。
 
 『倫敦塔』の復刻に際しては、(1)に示す十三部を校合し、(2)のような異同・欠字の類を発見した。復刻の底本には保存状態の良好な茨城大学本を用いたが、欠字その他に問題があって他本の頁を用いる必要がある場合には、その旨を(2)の該当箇所に明記してある。なお(2)で参照した初版『漾虚集』は山下所蔵本と市販復刻版の二点である。
 
(1)(茨城)茨城大学附属図書館、(神近)神奈川県立近代文学館、(教育)国立教育研究所教育情報・資料センター図書館、(近代)(財)日本近代文学館、(近吉)(財)日本近代文学館吉田精一文庫、(慶応)慶應義塾大学三田メディアセンター図書館、(國學院)國學院大学附属図書館、(国会)国立国会図書館、(早大)早稲田大学中央図書館、(鶴見)鶴見大学附属図書館、(東大)東京大学総合図書館、(東北)東北大学附属図書館、(明文)東京大学法学部附属近代法政史料センター明治新聞雑誌文庫
 
(2)異同箇所(□印は欠字その他問題の箇所をさす)
 
・一五頁四行
 隔てる□   ぶら下げ組でないために生じた行末の「。」の略で、校合本すべて。
 
・二二頁四行
 ものではない□  上同様「。」
 
・同頁六行
 模様がある□  上同様「。」
 
・二三頁一行(この頁は早大本を使用)
 うなづ□□  茨城 鶴見
 うなづく。  神近 教育 近代 近吉 慶応 國學院 国会 早大 東大 東北 明文
 
・二三頁一〇行
 と動く□   行末の「。」略。
 
・二三頁一一行
 分らぬ□   行末の「。」略。
 
・二四頁一行
 居ます□   (」)の脱。
 
・二九頁一二行
 紋章です□   (」)の脱。
 
・三一頁一行
 書□てある。   校合本すべてで欠字。初版では「書てある」と続ける。
 
・三四頁九行
 打ちはされる□   行末の「。」の略だが四分のアキはある。
 
 
 
『カーライル博物館』
 
 『カーライル博物館』は、明治三十年から発行され始めた丸善の月刊PR誌『学鐙』の第九年第一號(明治三十八年一月十五日発行、一頁から八頁)に掲載された。『学鐙』の判型は菊判であるが、菊判については第三巻に収録の拙論「漱石の雑誌小説本文について」を参照されたい。
 文末に「カアライルの舊居に所蔵するカアライル遺書目録は次號に掲ぐべし」との予告が出されているが、翌月の同誌第九年第二號(明治三十八年二月十五日発行、八頁から二六頁)に『カーライル博物館に蔵する遺書目録』が掲載された。
 『カーライル博物館』の復刻に際しては、(1)に示す十一部を校合したが、特別な異同・欠字の類は発見されなかった。復刻の底本には大谷大学本を使用した。
 
(1)(大谷)大谷大学附属図書館、(金沢)金沢大学附属図書館、(神近)神奈川県立近代文学館、(近代)(財)日本近代文学館、(早大)早稲田大学中央図書館、(筑波)筑波大学附属図書館、(天理)天理大学附属天理図書館、(東大)東京大学総合図書館、(同大)同志社大学附属図書館、(広島)広島大学附属図書館、(明文)東京大学法学部附属近代法政史料センター明治新聞雑誌文庫
 
 
 
『カーライル博物館に藏する遺書目録』
 
 『カーライル博物館に藏する遺書目録』は『学鐙』第九年第二號(明治三十八年二月十五日発行、八頁から二六頁)に掲載された。
 復刻に際しては、(1)の十一部を校合し、その結果(2)に示すように、標題中の異同・欠字の類を発見した。本文には異同は発見されなかった。復刻の底本には大谷大学本を使用した。
 
(1)(大谷)大谷大学附属図書館、(金沢)金沢大学附属図書館、(近代)(財)日本近代文学館(国会)国立国会図書館、(早大)早稲田大学中央図書館(筑波)筑波大学附属図書館、(天理)天理大学附属天理図書館、(東大)東京大学総合図書館、(東洋)東洋大学附属図書館、(都立)東京都立大学附属図書館、(北大)北海道大学附属図書館
 
(2)異同箇所(□印は欠字その他問題の箇所をさす)
・標題
 博物館□にする  近代 国会 早大 筑波 天理 東大 東洋 北大
 博物館に藏する  大谷 金沢 都立
 
 同号目次の標題は誤植混じりで「カーライル遺書目次」となっている。
 これまでの全集では、この欠字のためであろうが、正確な標題を示すことが出来ていなかった。旧漱石全集では、『カーライル博物館所藏 カーライル藏書目録』となっていた。荒正人編『漱石文学全集』においても、別巻「研究年表」やその他(二巻六〇九頁)の言及箇所で『カーライル博物館所藏カーライル藏書目録』となっている。
 新漱石全集においては、『カーライル博物館』を収録する第二巻を見てみると、「注解」の四一七頁で「カーライル蔵書目録」となっており、「後記」の四七九頁では以下のように記されている。
 
  (『カーライル博物館』の)本文が完結した後に、小字で「カアライルの旧居に所蔵 するカアライル遺書目録は次号に掲ぐべし」とある。次号(第九年第二号)にその目録 (本全集第二十七巻「別冊(下)」収録)が掲載された。
 
 そこで新漱石全集の二十七巻「別冊(下)」を見てみると、この「目録」がどこにも見あたらない。聞くところでは、表向き(?)別な理由で(漱石自身が実際に作成したリストではなく既成のものからリプリントされているから)、「目録」そのものの収録を取りやめたとのことであった。しかし、自筆原稿や初出誌をそのまま「翻刻」する方針の新漱石全集として、欠字のままの標題を表示することができなかったというのが本音であろう。
 仮に同目録の作成経緯云々を問題にするにしても、漱石の名前で発表され、上の引用にもあるように『カーライル博物館』の末尾で「カアライルの舊居に所藏するカアライル遺書目録は次號に掲ぐべし」との予告まで出され、両小品の関係が、大森一彦「漱石の『カーライル蔵書目録』考」『書誌索引展望』(第十四巻、第四号、一九九〇年十一月)の指摘「本来一体のものとして構想されたものであり、掲載誌のスペースの都合さえつけば同時掲載されたのではないかと想像される」であれば、この目録を省略するのは行き過ぎである。岩波書店の漱石全集編纂史上最大の功労者といってよい小宮豊隆自身次のように述べている。「……第一漱石のカーライルに對する興味がよほど強く動いてゐるのでない限り、漱石が「カーライルの舊居に今でも保存してあるカーライルの遺書の目録を中には面白く思ふ人もあるだろうと思つて書寫して次に出す」といふやうな、面倒極まる仕事をする筈がないのである」(新書版漱石全集、第三十三巻、昭和三十二年九月二十七日発行、一六八頁)。
 
 
 
 
注意:「内容見本にある欠字とそうでないもの二点の写真をここへ入れる」
 
 
 
 
 
『幻影の盾』
 
 『幻影の盾』は、本体に『吾輩は猫である』の三回目を掲載した『ホトヽギス』「第一百號」第八巻第七號(明治三十八年四月一日発行)の「附録、一頁から三五頁(三十六頁には「まぼろしの楯のうた 奇」)」として掲載された。三十五頁の本文の最後に(二月十八日)の日付がある。
 本文が始まる頁にある標題(これをヘッドタイトルという)と目次は『幻影の盾』となっているが、橋口五葉による「扉畫」の標題は『まぼろしの盾』となっている。これは『心』の初刊本の「背」(Spine)が「こゝろ」となっているのに似て、デザイン上の配慮と考えてよいが、このあたり及び『ホトヽギス』の判型、菊判については、三巻に収録の「漱石の雑誌小説本文について」を参照されたい。
 『幻影の盾』は、『坊っちやん』に似た、「別丁 段ヌキ 四分アキ 三十九字詰 十六行」で組まれており、ベタ組の本体より読みやすい。しかしこの種の組み方は手間も費用も余計にかかる。『幻影の盾』の読点・句点は共に「四分アキ」のスペースに収められているが、これは単行本となった『漾虚集』や『吾輩は猫である』と同じ組み方である。『坊っちやん』では、読点は四分アキにあるが、句点は全角を占めている(第三巻『坊っちやん』の解題を参照)。
 今日の我々にとって最も気になるのは、本文の正確さであるが、『坊っちやん』同様に手間や費用を多くかけた附録の本文だからといってそれだけ正確であるとはかぎらない。『坊っちやん』は、本体に連載中の『吾輩は猫である』よりも正確さを欠く本文であった。
 
 『幻影の盾』の復刻に際しては、(1)に示す十五部を校合し、(2)のような異同・欠字の類を発見した。復刻の底本には保存状態の良好な山下本を用いたが、欠字その他に問題があって他本の頁を用いる必要がある場合には、その旨を(2)の該当箇所に明記してある。なお(2)で参照した初版『漾虚集』は山下所蔵本と市販復刻版の二点である。
 
(1)(茨城)茨城大学附属図書館、(共立)共立女子大学附属図書館、(慶応)慶應義塾大学三田メディアセンター図書館、(国会)国立国会図書館、(早大)早稲田大学中央図書館、(東大)東京大学総合図書館、(都立)東京都立大学附属図書館、(東女)東京女子大学附属図書館、(日芸)日本大学芸術学部附属江古田図書館、(阪大)大阪大学附属図書館、(一橋)一橋大学附属図書館、(明大)明治大学附属図書館、(明文)東京大学法学部附属近代法政史料センター明治新聞雑誌文庫、(山下)山下浩、(立教)立教大学附属図書館
 
(2)異同箇所(□印は欠字その他問題の箇所をさす)
 
・四頁最終行(この頁は東大本を使用)
 浪□き昔   茨城 共立 慶応 国会 早大 都立 日芸 阪大 一橋 明大 明文 山下 立教
 浪なき昔   東大 東女
 
・一五頁二行
 とまつて□間を   校合本すべてで不鮮明。初版は「壁」。
 
・一八頁一五行
 役目が   茨城 慶応 都立 阪大 明文 山下
 役目□   共立 国会 早大 東大 東女 日芸 一橋 明大 立教
 
・二八頁七行
 □か、霰か   校合本すべてで不鮮明。初版は「雨」。
 
 
 
『琴のそら音』
 『琴のそら音』は、『七人』七號(明治三十八年五月一日発行、二五頁から六九頁)に掲載された。『琴のそら音』の署名は、目次、扉、ヘッドタイトルのすべてで「夏目嗽石」となっている。
 『七人』は、当時東大英文科の学生であった小山内薫(発行兼編集人)らが、明治三十七年十一月から同三十九年二月の間に計十一冊発行した同人誌である。菊判であるが、厚さは五、六十頁から百頁ほどのものまで、号によっていろいろである。判型の菊判については第三巻に収録の拙論「漱石の雑誌小説本文について」を参照されたい。
 『七人』の表表紙は「七人 七」(七は号数)となっているが、裏表紙は英語で、SEVEN | NUMBER 7 | PROSE POEMS | PROSE POEMS | Y. N. となっていて、この号にはYone Noguchi (野口米次郎)の詩が数編載っている。
 頁の組み方は、段ヌキ(一段組)、五号活字の四分アキ(文字と文字の間を空けないベタ組に対して、四分の一のスペースを入れる組み方)、一行は三十六字詰、十五行、でゆったりとしている。
 『琴のそら音』には、パラルビというよりもほとんどルビがないのだが、同号の他の掲載作品では総ルビの方が多く、七号では『牢獄』、『居眠り(チエホフ)』、『脚本みなしご』が総ルビになっている。「無学」な読者には縁遠い、少数の読者にしか読まれなかったはずの同人誌であるのに、なぜ総ルビにする必要があったのであろうか。
 なお、この作品には自筆原稿が現存している。
 『琴のそら音』の復刻に際しては、(1)の四部を校合し、(2)に示す異同・欠字の類を発見した。所在を確認できたのはこの四部のみであった。復刻の底本には保存状態の良好な一橋大学本を用いた。なお(2)で参照した初版『漾虚集』は山下所蔵本と市販復刻版の二点である。
 
(1)(実践)実践女子大学図書館、(近稲)(財)日本近代文学館稲垣達郎文庫、(明文)東京大学法学部附属近代法政史料センター明治新聞雑誌文庫、(一橋)一橋大学附属図書館
 
(2)異同箇所(□印は欠字その他問題の箇所をさす)
 
・三六頁五行目
 親□の者が   校合本すべてで欠字。初版は「戚」。
 
 
 
『一夜』
 
 『一夜』は、『中央公論』第二十年第九號(明治三十八年九月一日発行、六五頁から七五頁)に掲載された。発行元は反省社。中央公論社発行となるのは大正三年からである。表紙には "THE CENTRAL REVIEW " という英語のタイトルも示されている。
 判型は菊判であるが、菊判については第三巻に収録の拙論「漱石の雑誌小説本文について」を参照されたい。
 本文頁は、段ヌキ、四十六字詰、十六行である。ベタ組みではあるが、『ホトヽギス』の二段組、二十一行の頁に比べると読みやすい。
 『一夜』の復刻に際しては、(1)に示す九部を校合したが、特別な異同・欠字の類は認められなかった。復刻底本には保存状態の良好な國學院本を使用した。
 
(1)(大谷)大谷大学図書館、(京大)京都大学附属図書館、(國學院)國學院大学附属図書館、(国会)国立国会図書館、(昭女)昭和女子大学附属図書館、(早大)早稲田大学中央図書館、(同志社)同志社大学附属図書館、(天理)天理大学附属天理図書館。なお雄松堂書店製作のマイクロフィルム(マイクロ)は、撮影原本が不明のため参照はしつつも正規の校合には加えていない。
 
 
 
『薤露行』
 
 『薤露行』は、『一夜』と同じく『中央公論』の二百號となる第二十年第十一號(明治三十八年十月一日発行、一五五頁から一八六頁)に掲載された。
 本文頁は、『一夜』同様に、段ヌキ、四十六字詰、十六行となっている。同じベタ組みでも『ホトヽギス』の二段組、二十一行の頁に比べれば読みやすい。
 
 『薤露行』の復刻に際しては、(1)に示す十二部を校合し、(2)のような異同・欠字の類を発見した。復刻の底本には保存状態の良好な東女本を用いたが、欠字その他に問題があって他本の頁を用いる必要がある場合には、その旨を(2)の該当箇所に明記してある。なお(2)で参照した初版本『漾虚集』は山下所蔵本と市販復刻版の二点である。
 
(1)(大谷)大谷大学附属図書館、(金沢)金沢大学附属図書館、(京大)京都大学附属図書館、(國學院)國學院大學附属図書館、(国会)国立国会図書館、(昭女)昭和女子大学附属図書館、(早大)早稲田大学中央図書館、(天理)天理大学附属天理図書館、(東女)東京女子大学附属図書館、(立修)立命館大学附属修学館書庫、(立命)立命館大学附属図書館。なお雄松堂書店製作のマイクロフィルム(マイクロ)は、撮影原本が不明のため参照はしつつも正規の校合には加えていない。
 
(2)異同箇所(□印は欠字その他問題の箇所をさす)
 
・一五五頁一四行
 カメロットの□館には、   □は行末にあるが、校合本すべて全角一字分空白。初版では□なしで続けている。
 
・一五八頁一行(この頁は京大本を使用)
 頭の上に□げたる   金沢 國學院 国会 天理 東女 立命
 頭の上に捧げたる   大谷 京大 昭女 早大 立修
 
・一六六頁一〇行
 遠きに去る   大谷 京大 國學院 国会 昭女 早大 天理 東女 立修
 遠きに□る   金沢 立命
 
・一六七頁 最終行
 貸し玉へ□   マイクロ版では(」)がはいっている。
 
・一七四頁一二行(この頁は國學院本を使用)
 笑ふ。   國學院 立命
 笑ふ□   大谷 金沢 京大 早大 国会 昭女 天理 東女 立修
 
・一七四頁一五行
 に足□向く   「は」であるが、校合本すべてで不鮮明。
 
・一七五頁一一行
 洩らさんとする□り□   校合本すべて空白。初版では「な」「。」。マイクロ版には後者の「。」のみ存在する。
 
・一七六頁一一行
 とも見えず。   大谷 国会 昭女 早大 天理 東女 立修
 とも□えず。   金沢 京大 國學院 立命
 
・一七七頁五行(この頁には天理本を使用)
 館(やかた)に帰し   大谷 金沢 京大 国会 昭女 天理 立命
 館(やか) □帰し   國學院 早大 東女 立修
 
・一七七頁一三行
 アグラヱ(濁点付き)□、   校合本すべてで不完全な「ン」。初版本は正確に「ン」。
 
 
 これらの異同の中で特に注目すべき欠字は、一五八頁一行「頭の上に□げたる」の箇所である。新漱石全集第二巻に収録の『薤露行』(一章 夢)本文では、「白き腕のすらりと絹をすべりて、高く頭の上に  ((一字欠))げたる冠の光の下には、」(一四八頁一二行)となっているが、これは新漱石全集が欠字の一冊を底本にしたことを意味する。ちなみに江藤淳著『漱石とアーサー王傳?』中の『薤露行』本文でもここが空白(江藤は「掲」と推定)になっている。
 旧漱石全集、漱石文学全集、その他ほとんどの流布版は、『薤露行』をはじめて収録した初版『漾虚集』の「絹をすべりて、抑へたる冠の光の下には、」に拠っている。江藤氏は、この異同を漱石自身による改稿との前提に立って、文学的観点からいろいろと説明しているが、別な可能性として『漾虚集』初版の印刷に用いられた初出誌にも欠字があって、これに気付いた印刷所(あるいは編集関係者)が自筆原稿を見る手間を惜しんでその場を繕ったことも考えられる。
 
 
 
「内容見本の欠字の写真三点をここへ添付のこと」
 
 
 
 
 
『趣味の遺伝』
 
 『趣味の遺伝』は、『倫敦塔』と同じく『帝国文学』の第拾弐巻第壹号(明治三十九年一月十日発行、二〇頁から八七頁)に掲載された。『帝国文学』については、『倫敦塔』の解題を参照されたい。判型の菊判については第三巻に収録の拙論「漱石の雑誌小説本文について」を参照されたい。
 『趣味の遺伝』の復刻に際しては、(1)の十四部を校合し、(2)に示すような異同・欠字の類を発見した。復刻の底本には保存状態の良好な教育本を用いたが、欠字その他に問題があって他本の頁を用いる必要がある場合には、その旨を(2)の該当箇所に明記してある。なお(2)で言及した初版『漾虚集』は山下所蔵本と市販復刻版の二点である。
 
(1)(神近)神奈川県立近代文学館、(岐阜)岐阜大学附属図書館、(九大)九州大学附属図書館、(教育)国立教育研究所教育情報・資料センター教育図書館、(近代)(財)日本近代文学館、(近吉)(財)日本近代文学館吉田精一文庫、(國學院)國學院大學附属図書館、(国会)国立国会図書館、(早大)早稲田大学中央図書館、(鶴見)鶴見大学図書館、(天理)天理大学附属天理図書館、(東大)東京大学総合図書館、(東北)東北大学附属図書館、(名大)名古屋大学附属図書館
 
(2))異同箇所(□印は欠字その他問題の箇所をさす)
 
 
・三一頁二行
 立つた□   校合本すべてで単純な「。」の脱落。ぶら下げ組のためではない。
 
・三二頁九行(この頁は東北本を使用)
 見えた□   神近 岐阜 九大 教育 近代 近吉 國學院 早大 鶴見 天理 東大 名大
 見えた。   国会 東北
 
・三二頁一〇行
 余が足は   岐阜 九大 国会 東北
 □が足は   神近 教育 近代 近吉 國學院 早大 鶴見 天理 東大 名大
 
・四八頁一二行
 於て此古い   神近 岐阜 九大 近代 近吉 教育 国会 早大 東大 東北 名大
 於て□古い   國學院 鶴見 天理
 
・五〇頁一三行
 足に後でも   教育 近代 國學院 国会 早大 鶴見 天理 東大 東北 名大
 足に□でも   岐阜 九大 近神 近吉
 
・六六頁六行
 人間は   神近 九大 近代 近吉 教育 國學院 国会 早大 鶴見 天理 東大 東北 名大
 人□は   岐阜
 
・六六頁一三行
 其人の顔は□あゝ   校合本すべてで欠字。初版は「?」。
 
・七九頁六行
 居ますか?」と余は  神近 九大 近代 近吉 教育 天理 名大
 居ますか?□□□は  岐阜
 居ますか?」と□は  國學院 国会 早大 鶴見 東大 東北
 
・八〇頁一行
 それで思ふ  九大 教育 近吉 國學院 国会 早大 鶴見 天理 東大 東北
 そ□□思ふ  神近 岐阜 近代 名大