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『妖精の女王』の本文と翻訳のあいだ
                                    山下 浩
 『妖精の女王』の翻訳が1969年に文理書院(以降「文理版」と略す)から出版されたとき、ある英文学者は、「シェイクスピアと肩をならべていたイギリス・ルネサンスの代表的詩人スペンサーの長詩『妖精の女王』の邦訳が完成したことは、わが国の西欧文学に関心をもつ者にとって驚嘆すべき事件である」と論評した。当時まだ学生であった筆者も、その英語の難解さに手を焼いていたが、文理版が出現してくれたおかげで通読することができ、これがそもそものきっかけとなって筆者はスペンサーの本文研究へ向かうことになった。文理版『妖精の女王』は、その後改訂・改訳されて、1994年には筑摩版全1冊本(以降「筑摩版」と略す)となり、2005年の夏には筑摩文庫版全4冊(以降「文庫版」と略す)としてひとまず完結をみた。(1)
 筑摩版は、文理版から25年後の出版であっただけに、「改訳と言うより、私としては敢えて新訳と言いたい」(和田勇一氏による「まえがき」)と言えるほどの大幅な改訂が施された。その改訂で第一にあげるべき点は、文理版が、「原作の内容、つまり物語性を生かして、詩型は完全に度外視して、全文を書き流しの散文訳とした」のに対して、筑摩版が、「勿論、一定のリズムの案出は不可能だが、せめて、それぞれの意味グループを何とか案配して、9行連の面影だけは出してみたいと思い立った次第」ということであろう。両訳を見比べれば一目瞭然であるが、文理版が、9行からなる連(stanza)全体の意味をまとめて訳出したのに対して、筑摩版は、可能な限り原文9行各々の意味を行単位に訳出するようにつとめたということである。
 文庫版では、まえがき「文庫版『妖精の女王』について」の中で、福田昇八氏が、「熊本大学スペンサー研究会の『妖精の女王』の翻訳は、二度の改訂によって、より原文に近くなったと思われるが、基本的には文理版を骨子とするものである。それで私としては、この訳書は熊本大学訳として知られることを願いたい。われわれの共訳はこれが最終版となる」、と述べている。文庫版は、筑摩版の改訂をさらに洗練させたものとなっている。(2)
文理版とその翻訳底本
 文理版に始まる『妖精の女王』の翻訳は、言うまでもなく英文学の翻訳史に残る画期的な業績であるが、それだけに長丁場の難事業ではあったようで、一般の読者には気づきにくいであろうが、苦難の跡を今に伝えている。というのも、筆者は、新ロングマン版『妖精の女王』の出版(2001)に遡る20年以上前からスペンサーの書誌学・本文研究に従事していたが、この間に原典の各版、校訂本の各版と文理版の翻訳とを逐一比較考察する機会があった。そしてその作業の過程で、文理版の訳の中に時々ある奇妙な箇所を発見していたのである。(3)
 文理版には、和田氏のまえがきの中に、「テキストは、もっとも権威のあるスミス編のオックスフォード版(J. C. SMITH; SPENSER'S FAERIE QUEENE, 1909. 2vols)を使用した」と明記されている。『妖精の女王』の原典は、1590年に第1-3巻からなる分厚い四折判(初版)の1冊として出版され、6年後の1596年には、いわゆる 'Second Part'(第4-6巻の初版)と共にその第2版が出版された。(4)
筆者らの新ロングマン版は、第1-3巻において初版本を底本にしているが、それまでのスミス版は第2版を底本にしていた。ところがそのスミス版に基づいているはずの文理版の訳、第1-3巻の訳の中に、スミスが定めた本文からではなく初版の本文から訳されたと思われる箇所が発見されたのである。これらのうち目立ったものについては、当時筑摩版の改訂準備中であった福田氏に報告し、氏はスミス版の本文に合わせた修正を施こした。以下に主なもの10箇所をあげる。(5)
(1) 以下は、筑摩版になって修正された7箇所である。
①:1. 10. 62. 8
文理:
平和が永久に支配し、あらゆる辛(つら)い戦いが終わってしまったなら、
筑摩(文庫):
平和が永久に支配し、戦いが一切なくなれば(と老人)、
スミス版(=96):
(Said he)and battailes none are to be fought?
②:2.9.7.5
文理:
すでに、ランプのように燃える光を放つ太陽は、
七度(たび)世界を巡り、私も劣らず歩き回りましたが、
筑摩(文庫):
すでに、ランプのように燃える光を放つ太陽は、
(今や)世界を巡りおえ、私も劣らず歩き回りましたが、
スミス版(=96):
Now hath the Sunne with his lamp-burning light,
Walkt round about the world, and I no lesse,
③:2.10.19.5
文理:
母親の方はその場で殺したが、
筑摩(文庫):
母親は怒りにまかせて情容赦なく殺したが、
スミス版(=96):
The one she slew in that impatient stoure,
④:2.12.13.9
文理:
アポロの社(やしろ)の故に、高く賞賛されることになりました。
筑摩(文庫):
アポロの名誉故に高く賞賛されているのです。
スミス版(=96):
And for Apolloes honor highly herried.
⑤:2.12.61.8
文理:
毛のような花もおずおずと水にひたり、
筑摩(文庫):
羊毛のような花はやさしく水にひたり、
スミス版(=96):
Their fleecy flowres they tenderly did steepe,
⑥:3.8.2.7
文理:
フロリメルの黄金の帯で縛られたまま
筑摩(文庫):
フロリメルのちぎれた帯で縛られたまま
スミス版(=96):
Tyde with her broken girdle, it a part
⑦:3.9.14.7
文理:
この男が、犬小屋に入っていて吠えようともしない犬を叱りつけるように、
筑摩(文庫):
この男が、吠えもしない犬を犬小屋に追いこむように、
スミス版(=96):
As if he did a dogge to kenell rate,
That durst not barke;
(2) 以下の3箇所は、現在の筑摩版(及び文庫版)においても文理版の訳の痕跡をとどめている箇所である。なお筑摩版も文庫版も、文理版をもとにしている関係で、翻訳の底本は文理版と同様にスミス版となっている。
①:1.10.27.6
文理・筑摩(文庫):
騎士の罪ある身体を塩水にひたし、
スミス版(=96):
His bodie in salt water smarting sore,
②:2.3.20.5
文理・筑摩:
まるで恐ろしい小鬼のように、二人をひどくぞっとさせる。
(文庫):
恐ろしい小鬼のように、ぞっとする。
スミス版(=96):
As ghastly bug their haire on end does reare:
③:2.11.13.5
文理・筑摩(文庫):
この連中が第五のとりでを激しく囲んだが、
スミス版(=96):
Cruelly they assayled that fift Fort,
 文理版ではなぜこうした訳になったのであろうか。ひょっとしてスミス版ではなくそれ以外の流布版を用いたのではないのか。なんとも不思議であるので、この箇所を主な流布版であるエブリマン版と比べてみた。エブリマン版の本文は、後述するように、いわゆるグローブ版(1869)を事実上リプリントしたものである。このグローブ版は、一応1590年の初版を底本にしてはいるが、新ロングマン版のように初版の書誌学的調査を詳細に行いそれに厳密に拠った本文ではなく、第2版その他との19世紀流「折衷的本文」(eclectic text)である。文理版訳は、そのエブリマン版の本文に一致したのであった。(6)
(1) 筑摩版になって修正された7箇所である。
①:1. 10. 62. 8
エブリマン版(=Globe=90):
(Said he) and bitter battailes all are fought?
②:2.9.7.5
エブリマン版(=Globe=90):
Seven times the Sunne, with his lamp-burning light,
Hath walkte about the world, and I no less,
③:2.10.19.5
エブリマン版(=Globe=90):
The one she slew upon the present floure;
④:2.12.13.9
エブリマン版(=Globe):
And for Apolloes temple highly herried.
新ロングマン版(=90):
And for Apolloes temple highly herried.
⑤:2.12.61.8
エブリマン版(=Globe=90):
Their fleecy flowres they fearefully did steepe,
⑥:3.8.2.7
エブリマン版(=Globe=90):
Tyde with her golden girdle; it a part
⑦:3.9.14.7
エブリマン版(=Globe=90):
As if he did a dogge in kenell rate
That durst not barke;
(2) 筑摩版(及び文庫版)においても文理版の痕跡をとどめている3箇所。
①:1.10.27.6
エブリマン版(=Globe=90):
His blamefull body in salt water sore,
②:2.3.20.5
エブリマン版(=Globe=90):
As ghastly bug, does greatly them affeare:
③:2.11.13.5
エブリマン版:
Cruelly they assaged that fift Fort,
新ロングマン版(=Globe=90):
Cruelly they assayed that fift Fort,
 といっても、第1-3巻の初版と第2版の間で大きな異同が存在する他の箇所を見てみると、筑摩版訳の多くはスミス版の方に一致しておりエブリマン版とは明らかに違っていた。以下にいくつか例をあげる。
①:1.1.2.1
文理:
しかし騎士の胸当てには、
筑摩(文庫):
だが騎士の胸当てには、
スミス版(=96):
But on his brest
エブリマン版(=Globe=90):
And on his brest
②:2.6.3.4
文理・筑摩(文庫):
息も切れるほど笑ったりしたが、
スミス版(=96):
Sometimes she laught, that nigh her breth was gone,
エブリマン版(=Globe):
Sometimes she laught, as merry as Pope Jone;
新ロングマン版(=90):
Sometimes she laught, as merry as Pope Ione;
③:3.3.53.3
文理・筑摩(文庫):
必要に迫られれば力も湧いて出るとか
スミス版(=96):
And our weake hands (whom need new strength shall teach)
エブリマン版(=Globe=90):
And our weake hands (need makes good schollers) teach
④:3.9.22.1
文理:
帰還したばかりのミネルヴァが――
筑摩(文庫):
帰還したばかりのミネルヴァのよう。
スミス版(=96):
Like as Minerua, being late returnd
エブリマン版(=Globe):
Like as Bellona (being late returnd
新ロングマン版(=90):
Like as Bellona, being late returnd
 これはいったいどうしたことであろうか。文理版の訳は、シェイクスピア本文研究の用語を用いれば、さしずめスミス版とエブリマン版の「合成本文」あるいは「異文混交」 (conflation)と言えようが、これには以下のようなケースが考えられる。
(1) 上に引用した箇所において文理版訳に一致する別な流布本が存在し、訳者らはそれを使用した。
(2) 文理版の翻訳はグループに分かれて行った分担訳であるので、あるグループが、スミス版との異同に気付かないでエブリマン版を併用してしまった。
(3) スミス版は1596年の第2版を底本にしているが、その脚注に、初版の主な異同箇所を示している。そこで訳者は、箇所によってはスミスが定めた本文よりも脚注の初版の方に魅力を感じ、意識的にスミスから離れる訳をした。その箇所がたまたまエブリマン版の本文と一致したということである。
 このうち(1)の可能性は皆無といっていい。残るは(2)と(3)であるが、文理版が翻訳に際しスミス版を使用したと明言している以上、(2)であれば本文への認識不足を露呈するわけで許されない。他方(3)の方では、訳者が、「翻訳者も広い意味での校訂者」という見地に立ち、スミス自身が定めた本文自体には満足せずに、脚注に示された異同を含む全体をスミス版とみなし、自らを翻訳本文の決定へ参画させた可能性。とすれば、これはあながち否定されるものでもなかろう。ただしこうした折衷的な翻訳を試みるとすれば、訳者は、その前提・心構えとしてスペンサーの本文、さらには広く本文一般についての認識を深めておく必要がある。以下はこの観点からの覚書である。(7)
本文とは何か――「ベストな版」とは(8)
 一昔前であれば、「本文とは何か」と問われれば、「作者生前最後の版」とか「作者が書いたまま」、「作者の意図に忠実な本文」といった答え方をして済ましていられた。長らく『妖精の女王』の定本とされたスミス版も、この見地から底本が選ばれ本文が定められたが、作品批評の中心に作者が置かれていた時代にあっては当然な編纂方針ではあった。
 ところが、時代が変わり「作者」や「作品」に重きを置かない類の批評が大手を振るうようになってきても、依然としてこうした旧来の編纂方針に拠る本文がそのまま使い続けられている。これはいったいどうしたことであろうか。
 読者・批評者には、「作者(の意図)・本文の成立過程」といった「歴史的文脈」など無視して作品を自由奔放に読み解釈する自由・権利はある。しかし真摯に作品を考察しようとするならば、彼らは、作者以外の何を基準に、「信頼できる版・本文」を数多の版の中から選ぶのであろうか。今ひとつ意味が定かではない箇所(cruxes)に出くわした時など、彼らは、「作者(の意図)」という大もとまで遡ることなしに何を根拠にその意味をさぐったり、あるいはそれを「誤植」とみなして是正したりできるのであろうか。最先端の文学理論を操る研究者や批評家には、こうした問いにも応えてほしいものである。
 「作者」を重視しないというのであれば、「読者」の方に焦点をあてて、出版プロセスのどの段階の版・本文が読者にどれほどのインパクトを与えたかといった基準で「ベストな版」を選び、その版を復刻したり、最小限の手を加えた本文を用いる必要が出てくる。近年の本文編纂・校訂者は、新しい批評の動向に対応する新しいタイプの本文を編纂する必要を感じるようになってきたが、しかしことは簡単ではない。そこへ至る一貫した作業の例としては、筆者らの新ロングマン版出版に至るまでの書誌学研究と出版物を参照されたい。(9)
 シェイクスピア研究においては、このあたりへの問題提起と対処がいち早くなされた。それ以前であれば、「作者が書いた単一真正な本文」の確定をめざし、それに終始する感があったのに対して、近年では、劇場や上演形態、あるいはその方面からの批評に対応するために、当時実際に上演された本文、すなわち役者のギャグとみなされる、他者の手になる台詞を多く含む本文・版も出現するようになってきている。その代表例は『リア王』で、オックスフォード版の全集(1986)には、The Division of the Kingdoms(1983)等における研究成果を踏まえて、「劇場版」を加えた2種類の本文が収録されており、我が国でも三神勲氏によりこの2種の翻訳が行われている。(10)
 最近の日本近代文学研究においても似たような状況が生じている。宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』のように、第4次稿までの4種の本文が『新校本 宮澤賢治全集』以外に筑摩文庫のような一般向けの出版物を通しても広く知られるようになってくると、これを外国語に翻訳する際には少なくとも『リア王』同様に3次稿と4次稿の2種類の翻訳を示す必要がありそうである。(11)
 シェイクスピアの本文研究は、本文研究全般に対して刺激を与え、今日、「本文」に対する見方・考え方はもはや局限かと思われるほどの多様性を生じている。片方では、文学作品を作者の固有物とみなす伝統的立場を一段と強めたものから、他方では、これを「社会的産物」とみなし、読者に提示された段階の本文を重視して編纂・校訂を行うというもの――これを推し進めると、常識的には明らかに「誤植」であったり、編集・印刷課程の意図的改竄の類と判断される箇所であっても、すべて作者とそうした出版過程との「合作」とみなし本文へ受け入れる――までが併存するようになっている。(12)
 あくまでも「作者(の意図)」に中心を置く編纂・校訂(author-centered conception of editing)においても、従来までのような「作者が書いた単一真正な本文」を「作者生前最後の版」に求めるといった単純な図式のものではなくなっている。「(作者の)最終的意図」は、原稿を書き終えた時点にも、初出や初版を公にした時点にも、その他各々の時点にも存在したことを認め、それ故編者・校訂者は、作品個々の固有の状況に応じてケースバイケースに(Every textual situation is unique)、底本を決定し本文を定めるようになってきた。(13)
 こうした状況は編纂・校訂においてのあるべき妥当な姿だと思われるが、そのぶん編纂者の責任は従来よりも重くなった。編纂者は、底本の選定や本文の決定において精緻な理論的・基礎的研究を行い、一般研究者・読者を説得するに充分な根拠を示す必要がある。
 それは他方で、一般研究者においても、原典から校訂本各版に至るまでの「本文推移」(textual transmission)について一定の知識・認識を持つ必要が生じたことを意味する。作品の批評を行う者は誰でも、ある程度までは原本各版の印刷・出版事情を知り、手元の版がどのような方針で編纂されているかを知る必要があるということである。原典にも校訂本にも、各版各々には他にはない独特な成立経緯があるはずで、そこには他にはない独特な作品世界が存在するとも言える。それ故今日の種々多様な批評においても、批評者は、固定的にどれか特定の版・校訂本をベストとして用いるのではなく、校訂本各々の編纂方針やその特質を知り、その批評に合った本文を用いる必要があるということである。
 別な言い方をすれば、批評者各々は、自筆原稿から流布本に至るまでの本文の成立過程をよく知る努力をして、その結果をふまえて校訂本を選ぶのであれば、それが最終的にどのような版・どのような本文であろうとも、そのことで他者からとやかく言われる筋合いはないということでもある。いずれにしろ、批評者は、「作者」を重視するしないに関わらず、研究の根本である「本文」については一定の知識と見識を持つ必要があるといえる。
『妖精の女王』の版本と本文
 以上の点から『妖精の女王』の本文、特に第1-3巻の版本と本文についてあらためて考えてみたい。
 『妖精の女王』は、1590年に第1-3巻からなる初版本が出版されたが、この版はスペンサーの自筆原稿に基づいて印刷されており、作者自身が校正に直接関わった形跡も残されている。スペンサーの熱の入れ方は、当時としては珍しい「正誤表」が添付されていることからもうかがえる。
 その6年後、第1-3巻の第2版が、'Second Part'(第4-6巻、初版)と同時期に出版されたが、この第2版においては、特に第3巻末が第4巻との関係で大きく書き直された。その他この第2版にはスペンサー自身が手を入れたと考えられるサブスタンティブな異同がいろいろと存在しているので、スミス版や Variorum Spenser 版は第2版を底本にして本文を決定したが、これらの校訂本における同版への評価はやや過大であったように思われる。第2版の異同のあるものは、印刷所による単純誤植であったり改竄であったりした可能性もある。詳細は筆者らの他の研究(手みじかには、新ロングマン版に収録の 'Textual Introduction' を参照)に譲るが、この第2版の出版時、スペンサー自身はロンドンに滞在しておらず、初版の印刷時のような作者自身による直接の校正は行われなかった。この版は、スペンサー自身が所蔵していた初版本への彼自身のスポット的書き込み(首尾一貫した改訂にはほど遠い中途半端なもの)、をもとに印刷されたようである。
 スペンサーの死後、1609年に第7巻の断片となる 'Cantos of Mutabilities' が、事実上1596年版のリプリントといえる第1-6巻と共に、大判の二折判で出版された。
 『妖精の女王』の校訂本・流布本はさまざまに存在するが、第1-3巻の本文は、1590年の初版か1596年の第2版かのどちらかをベースに、これに校訂者の判断で他の版からの取捨選択、さらに独自の判断を加えることによって、定められている。ではそうした校訂本にはどのような特徴があるのであろうか。一応以下の3系統に分けることができる。
(1) R. モリスによって1869年に編纂され、その後多くの版を重ねたいわゆるグローブ版(注6参照)。19世紀特有な編纂本文である。すなわち一応は、'to reprint the earliest known editions of Spenser's various poems ' とうたってはいるが、その実態は、『妖精の女王』の場合なら、1590年の初版をひとまずは底本にしながらも、ひんぱんに第2版その他からの本文を取り入れたり、編者自らの解釈・「好み」で本文を変更したりする、折衷版(eclectic text)である。エブリマン版はこの版をもとにしているが、細部では異なる箇所もある。今日でも使用されているオズグッドのコンコーダンが拠っている本文も、厳密には正体不明というべきだが、この系統に属している。
(2) スミス編のオックスフォード版(1909)。「作者生前最後の版」の考え方をもとに、第2版を底本にして本文が定められたが、当時としては、19世紀流の折衷的本文を排した「科学的」校訂と評価され、その後に大きな影響を与えた。ハミルトン編の旧ロングマン版(1976)やVariorum Spenser の本文はこれに拠っている。
(3) 新ロングマン版(2001)。スミス版以降に発達した二十世紀書誌学理論にもとづいて本文研究を詳細に行い、その成果を取り入れて初版に忠実な本文決定を行っている。
文理版訳者の1590年初版への思い入れ
 スミス版とエブリマン版からの「合成訳」ともいえる文理版訳は、『妖精の女王』原本の初版と第2版を合成して本文を定めたグローブ版(及びエブリマン版)の成り立ちに似ていなくもない。翻訳としては、その底本をスミス版と明記している以上、スミスが定めた本文に忠実に従うのが普通であるが、文理版の訳者が敢えて脚注部分の初版の異同にこだわり、スミスから離れたとすれば、そこには訳者なりに初版への思い入れがあったのではないか。留意すべきは、脚注部分の初版の本文の多くは、スペンサーの長い執筆期間中、その頭の中、そして自筆草稿の中にずっと存在し続けた、何度も何度も目を通したはずの語句・表現であったということである。第2版の改訂とは重みが違うという言い方もできる。
 上に指摘した10箇所を以下順次見てみたい。
(1)
①:1. 10. 62. 8
ここでは、'all are fought' の部分を 'none are to be fought' と変えてメリハリを付けたが、その分 'bitter battailes' で効果的な b-b の頭韻となる 'bitter' の語が削除されている。
②:2.9.7.5
この後の(2.9.38.9)で初版の 'three years' が2版で 'twelue moneths' と変更され、これに合わせた改訂とみなせる。第2版の直し方は筋は通っているが、初版の 'Seuen times the Sunne' の表現が持つインパクトは失われた。
③:2.10.19.5
たいした違いではないが、強いて言えば、腹立ちまぎれにといった感じを強調するための改訂か。
④:2.12.13.9
意味をより明確にしたという点と 'h' の頭韻の効果もあるが、むろん初版のままの 'temple'でも差し支えはない。
⑤:2.12.61.8
この行の頭韻が 'fearefully' でf-f-f と三つ目になるので、これを避けるための改訂か。
⑥:3.8.2.7
頭韻の効果よりも意味優先、色より状況優先の改訂か。'he had broke his bands'(3.7.61.7)に一致させる意図もあったか。
⑦:3.9.14.7
ここは犬が犬小屋に入っているかいないかの問題であるが、第2版が印刷された状況からは、はたしてスペンサー自身の手になる改訂かどうか。
(2)
①:1.10.27.6
初版にはふたつの頭韻b-bとs-sがあるが、第2版では前者を止めて後者の頭韻をs-s-sとしている。この改訂によって「罪ある身体」をさらに強調したかったという解釈もなりたちそうだが、(1)⑤とは逆のケースである。
②:2.3.20.5
この行は、初版本体の本文では、'does vnto them affeare' となっていたが、本体の印刷終了後スペンサー自身が準備し初版の末尾に添付したと考えられる正誤表で、'does greatly them affeare' と直された箇所である。1590年の第2版では、「髪を逆立てるように」の意味に改訂されているが、初版の g-g の頭韻をなくしている。
③:2.11.13.5
初版の 'assayed' は、誤植というよりも、第2版の 'assayled' 「攻撃した」と同じ意味で当時の綴り字のバリアントとして許されたはずである。グローブ版の編者もそのように解釈しており、同版のグロサリーには 'attack' の意味も添えられている。しかしエブリマン版は、ここではグローブ版に従わず、'assaged' すなわち「取り囲む」に変更してしまっている。
 以上の10箇所において、プロットの「整合性」という点からみれば、第2版はおおむね改善へ向かっているが、しかし「整合性」を言うのであれば、そうした点の不備は他にもまだ多数存在しており、この程度では中途半端としか言いようがない。他方、個々の文学的表現の優劣ということになれば、初版と第2版は甲乙つけがたい、というよりも初版の方により魅力的な箇所が多いといえる。
 それ故、文理版の訳者が、初版と第2版をミックスしたグローブ版(エブリマン版)の編者のように、合成的な翻訳を意識的に行う誘惑に駆られたとしても、不思議ではなかったように思われる。ただし、そうした「合成訳」を試みるのであれば、そこには注を入れて、双方の訳を示しながら、翻訳底本から離れる旨をしっかりと断る必要があったのではないか。各版の、できれば初版と第2版の本文の違い、それに基づいたスミス版がどういう性質の本文であるかを説明して、訳者らが合成訳へと駆られた思いを読者へしっかりと伝えてほしかった。それによって『妖精の女王』に対する読者のおもいはさらに高まったのではないであろうか。
(1) 和田勇一 監修・校訂/熊本大学スペンサー研究会 1969 『妖精の女王』文理書院;和田勇一・福田昇八 1994 『妖精の女王』筑摩書房;和田勇一・福田昇八 2005 『妖精の女王』(ちくま文庫版 全4冊)筑摩書房
(2) 福田氏は、現在新ロングマン版(2001)の本文に基づいた韻文訳の仕事に単独で従事している。
(3) 文理版には、筆者の調査で、注(1)にあげた「昭和四四年七月一日 初版発行」の版以外に、奥付で「昭和四九年七月一五日 再版発行」、「昭和五一年三月一五日 三版発行」、「昭和五三年三月一五日 重版発行」となったものを確認しているが、内容的には同一物である。
(4) この「分厚い四折判」とは、その他のスペンサー初期版本の多くやシェイクスピアのクート(quarto)判と同じ大きさ(判型)ではあるが、これらが各折丁を全紙1枚で、2回折り、4葉8ページとしたのに対して、ページ数の多さ(本の厚さ)と製本上の都合から、全紙を2枚重ね、これを2回折り8葉16ページとしたものである。専門的には、'quarto in eights' と言う。
(5) ここの10箇所のほとんどは、印刷過程での誤植というよりも作者スペンサー自身が手を加えた可能性が大なものから選んである。両版の異同には他にもいろいろあるが、例えば、(2.7.7.3)初版の 'hils' と第2版の 'heapes' などのように、スペンサーが変更した可能性があっても、訳では区別しにくいような箇所もある。その他、両版の異同の詳細は、
Yamashita, Hiroshi, Toshiyuki Suzuki, et al. eds. 1993 A Textual Companion to 'The Faerie Queene' 1590, Kenyusha, 447 pp. を参照。
(6) Morris, R. 1869 The Workes of Edmund Spenser, Macmillan; Hales, J. W. 1910 Edmund Spenser: The Faerie Queene, 2 vols, Dent.
(7) いわゆる翻訳論の類は無数に存在するが、翻訳底本を選択する際の是非、つまり数ある版・本文のうちのどれを元にして翻訳するか、といった問題を正面から論じた論考は少ないようである。その少ないものの一つに、金子雄司 2002 「本文批評としてのシェイクスピア翻訳」『英語青年』(第147巻第10号、平成14年1月1日発行)がある。
(8) 筆者が英文学の本文研究の方法を日本文学に適用した著書・論文については、山下浩 1993 『本文の生態学――漱石・鷗外・芥川』日本エディタースクール出版部、など多数あるが、詳細は筆者のウエッブサイト(http://www.hybiblio.com)等を参照されたい。
(9) 新ロングマン版の本文を定めるまでの研究プロセスがどれほどのものであったかを知るには、まずは本論集に収録の書誌にあたり、筆者に関わる文献、及び鈴木紀之氏に関わる諸論文を参照されたい。我々の仕事は、『妖精の女王』の大もとでありながら、ほとんど手がつけられていなかった1590年の初版の徹底的な書誌学研究から始まった。事実上ゼロからの出発であった。その研究成果と本文の問題点のありかを示すために、先ずはいわゆる ‘Textual Concordance’を出版。これは、幻となった「オックスフォードシェイクスピア全集」の準備の一環としてハワード・ヒルが製作した分冊のシェイクスピア・コンコーダンスのコンセプトに近いものである。つまり、通常向けの用語索引というよりも、本文校訂者に不可欠のツールであった。次に、Textual Companion を出版し、『妖精の女王』の本文の実態、その全貌といっていいもの、を数多ある類書にも見られない詳細さで示した。この点については、本書と新ロングマンの版編纂・校訂に対する review essay の中で、スピード・ヒル氏が次のように評している。
   All the evidence for subsequent textual decision is here laid out before us, usefully subdivided by topic. It is a project of true Baconian empiricism, a gathering together and laying out all the evidence in order that the truth shall be known (Speed-Hill W. 2003 ‘The Texts of Edmund Spenser’s The Faerie Queene: Greg Redivivus? ’TEXT, vol. 15, Michigan: 378).
新ロングマン版の本文は、底本と定めた版の本文にきわめて忠実であるが、それは結果的にそうなったというだけで、一点一点の異同に対して詳細なデータ上の裏付けがある。
(10) Taylor, Gary, et al. 1983 The Division of the Kingdoms, Oxford; Wells, Stanley, et al. 1986 William Shakespeare: The Complete Works, Oxford; 三神 勲 1990 『異版対訳 リア王』桐原書店
(11) 天沢退二郎、他編 1995 『新校本 宮澤賢治全集』全16巻・別巻1、筑摩書房
(12) 本文研究の伝統をぶっ壊そうとするのが、 McGann, Jerome J. 1983 A Critique of Modern Textual Criticism, Chicago であり、その正反対の超保守が Parker, Hershel 1984 Flawed Texts and Verbal Icons, Northwestwrn University Press である。
(13) この方面の代表的な論文に以下のものがある。Tanselle, G. Thomas 1975 'The Editorial Problems of Final Authorial Intention', Studies in Bibliography, vol. 29: 167-211.