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配本開始まで 連載第3回


10.9.13.

◎金曜會に於て、(注: この日は金曜日)
豫想部数

13,000  堤(常)
30,000  井沢
15,000  植村(第1回の印刷)
28,000  長田(25,000 - 30,000)
13,000  (小林)勇
25,000  布川
20,000  (渡部)良吉

+
144,000       /     20,600

20,000  西島(19日)


第一回印刷  一万五千
内容見本   二〇〇、〇〇〇(二十万)
駅のポスター やる事


10.9.14.


題簽が出来てゐる予定で小林が狩野先生を訪問。出来てゐず
夕方出來予定といふのでかへる。夕方 大塚さんが行つて頂いて
來る。


森田草平氏、堤さんを訪問 序に全集の仕事場を訪る。
定本の校正方針をきかれて、第三回によると返事。漱石文法を
借りたい旨西島さんが申出る。それほど必要でもないだらうが、
探してみませう と。全集月報の編輯部用に揃へて
あつたのを長田さんがもらつて帰られる。


虞美人艸原稿校合 抽出し三ツ了る。



10.9.15.  (日曜)


10.9.16.


注: 冒頭で、「小石川倉庫から、(長田、飯山両人)持ち出して來て南 預つた品を左に記す」とあり、すでに大正13年版や昭和3年普及版で言及した資料を含む6種類の資料が列記されている。

その中には、「水谷氏口述の筆記一」や「表紙に大正十三年四月 漾虚碧堂 と記す」ノートも含まれている(詳細は略す)。




○ 刊行の辞 「漱石全集新普及版刊行に際して」安倍能成先生より航空便にて送り來る。

カンコウノジ アリガタクハイジユ イワナミ

右文の礼電を打つ。

タイプライターの写しをとつて 印刷 に廻す。


○ 森田さんの提案について堤さんと協議し、
それについて堤さん 夏目おくさんに相談にゆく。
結局足代二十円を支出(夏目家から)する。尚明日
森田さんに堤さんから返事をした上 はつきり
きまる。


○ 索引作製者 古川氏 四時半来訪。
仙台からかへつて來た原本によつて更に補つて
再び仙台の指示を仰ぐ旨の報告をうく。
小宮方針によると相当な膨大な事になろう。

○ 布川君から 中川氏の所有する漱石
書簡の仮表装せるもの 一袖預る。

○ 虞美人艸原稿を抽出し一つ校合。


10.9.17.


○ メレディスの事を島崎さんにたのむ。
市川三喜さんにきゝに行つて頂く事を。午前十一時。

○ 飯山正文さん、虞美人草 原稿一と函をかへ
し、あとの2函をもつて來る。

○ 西島さん、俳句の増補吟味。

○ 結局破棄さるべき用箋 原稿用紙等々のメモ
の他に、卓用メモとして一切、―― たとへば巻
数と回数の対象。原版と普及版竝に新版の異動表。
新版総した頁数等―― が記入さるべき共有
ノートを作る事にする。(同時にポケットノートを作る。)
→日記の他に、しよつちゆう くりかへし調べる資料 材料
等、掲示しておきたい位な事を書くのである。

(注: ひじょうに重要なことが書かれている。連載第1回であげた日記を除く大学ノート7冊は、かくして作製されたのである。なお、筆者が下線をいれた原版とは、大正13年第三次全集のこと。)


○ 小宮先生から来信、山形に旅行中。二、三日中に歸仙のよし。
從つて長田さんの仙台ゆきも延びる。

○ 漱石全集 二種 第四巻(大小 二口) を藤原さんを
介して吉野金版に頼む。

○ 茅野先生に 推薦文 四〇〇字 を依頼。安倍先生
の刊行の辞のコッピーを一度おめにかける。(長谷
川さんが茅野先生を訪問のついでに)。

○ 全集月報 森田先生がおもちになつた分の代りが
揃はなかつた分を長田さんが宅から持つて
來て下さつて 全部 揃つた。

○ 森田さんがいらして(四時すぎ) 堤さんが面接、昨日
のおくさんとの話 旅費足代二十円の事を言つたら
喜んでゐらした由。「十円でもいゝのに」とか「印税からかへしても
いゝ」とか言つてゐらした由。今月中には必ず書いて
お返し下さる由。森田頁の事、足代の事
これにて 決定。原稿料は一枚三円。本としての
發表の仕方、其の取扱ひ方だけは未決定。

○ 刊行の辞 初校出て來る。


10.9.18.


○ 虞美人艸 抽出 二つ返して残り三つを飯山さんが、
持つて來る。

○ 夢十夜 金剛草 二冊碧山房より
拝借


◎ 俳句集と全集(普)との全体相互チエツクを
近藤さんに依頼す。

◎ 小宮さんへの「お伺ひ表」 調べ出す。 増補した上訪問
記録の時に解決と共に書き上げる事にする。


10.9.19.


◎ 口繪 第三次 普及版 対照 新版割りあて案作
製。別記録ノートへあとで書き込む。

◎ 寺田先生にゆく。訪仙に先つての打合せの爲なり。
足をいためられて御起居不自由との事。非常に
憔哀して老けて見えたが話をして笑つたりされるのを
見たら安心した。そんな様で未だやつてよいと
言はれるからそれは未だよい旨申し上ぐ。ついで
に今日作製した口繪ワリアテと此間の第三回の分の
上げ残しをおいて來た。初から割り振りは、
やり出すと仲々大変だから、色刷り
六枚選ぶこと 單色 二十六枚 從来よいもの
から選ぶことを引受けよう と云はる。
本論である処の、森田さんの事は、やはり、 『月報に書かれる
事に賛成したのであつて、發行 形式 その他については
意見がない。あの時君がきいてゐてくれてよかつた。さうでないと
一寸話がわからない事になる所だつた。』
といはれる。 「但し 四大特色とうたふる 「傳」 と同様に
会員には揃へて買へる便宜、何等かの特典を
与へるといふ事 それは 自分はいゝと思ふよ たしかに
特色にはなるよ」 ともいはる。

◎ 五時半仙台へ電話。おくさんが出られる。
未だおかへりにならぬ由。明午後かへらるる由。
そこで明夜発つて、明後日朝 伺ふから
お差支あれば明日中に電報下
さい と申上げお約束する。


◎ 大谷巧芸社に大谷繞石の手紙うつして貰ふ。 


○  茅野先生 推薦文執筆承諾。 なるだけ早く書く
といふ返事を長谷川さんからきく。刊行の辞写し
は返つて來る。

○ スクラツプを一冊買つて貰ふ。
今後、漱石に関する事を書かれたあらゆるものを
貼る爲である。


10.9.20.


○ 虞美人艸の原稿と第三次の虞美人艸との校合を
了る。岩波倉庫から借りて來てゐた原稿抽出、四つを
午前中に飯山さんが返して來る。
これで全部原稿は返却した事になる。

○ 市川三喜先生 を島崎さんが訪問。用向はメレディスの事をきく爲に、序に
推薦文依頼を兼ねて。安倍先生の刊行の辞のコピーを持つて行く。

一 メレディスを大體見当がついてゐれば何とか
わかるだらう。自分で調べられないから研究室
の誰かに調べさせよう。

一 推薦文は出來たらあげます、といふ返事。但し
いつもはつきりした返事をなさらない人で、大丈夫
頂けるだらう、 と島崎さんの話。今月中にと頼ん
來た と。

一 保坂帰一氏著「吾輩の見たるアメリカ」下巻に、
書簡体の漱石の名があるか知つてゐるか? と。
菊判二頁位のもの。    □決定版編入スミ□


○ 本田顯彰氏に推薦文依頼の件を長谷川さんに
頼む。あした學校の帰りに寄つてくださるように、書簡で
も出して置かうと。


○ 讀賣新聞 昭和十年九月二十日(金)の文藝欄よみうり抄に左の記事
を飯山さんが発見。
  ▲「文藝放談」十月號 漱石未発表原稿 「生徒に與ふるの書」
      掲載
早速入手したいと思つたがまだ出來てゐないよし。


○ 普及版第十五巻の俳句と 漱石俳句集の相互引き合はせを
近藤さんがして下さる。
假名と漢字、 片假名と平假名の相違まで相互引合は
せる。
結果として、 年代のダブつてゐるのを二句、俳句集に発見。
普及版では (注: 空白)  句。
普及版と第三次版の俳句とは、長田さんと長田小夜子さん
とで既に讀み合はせ済み。


○ 長田さん午後十時の汽車で仙台に出發。





(次回連載第4回は、10.9.21. からになるが、上にあるとおり、長田は仙台へ夜行で出發し、21日朝から小宮と大事な打合せを行う。日記には、在京店員による10.9.21. 分があり、そのあと、長田による21日の 「仙台へ齎(注: もたら)した要件」 と22日(日)の分の前に、10.9.23.分の2ページがあるが、これは、日付順に直し、長田による21日の 「仙台へ齎(注: もたら)した要件」 と22日(日)の分のあとに掲載することにする。)