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配本開始まで 連載第2回


十年八月一日

日記には、「招待状 編輯会議。 日付未定。」 それに、
オイデコウ マツオカ (松岡氏)

の電文と共に、会議を招集する立場になる夏目純一氏からの「案内状 文案」(200字詰原稿用紙1枚)が貼り付けてある。これは以下に示す12名へ送るものであり、印刷されたハガキ大の実物も添付されている。原稿と印刷物とは、原稿の段階では未定であった会議の日にちと案内状の日付を除いては同一なので、以下には印刷物の方を入力する。純一氏の原稿は、後日写真にて掲載する。(なお、この原稿は純一氏の直筆ではないと思われる。というのも、この連載第1回で触れたが、この間岩波茂雄はヨーロッパ旅行中で、当時バイオリン留学中の純一氏とハンガリーのブタペストで数日間行動を共にしている。二人が会った正確な日にちはわからないが、この原稿は、保存状態からみて、海外から郵送されたものとは思えない。この編輯会議の案内状には岩波の名前もあるが、もちろん欠席である。)

謹啓 酷暑の砌り御左右お伺ひ申上げます。
さて本年は漱石歿二十年に相當しますので、今秋其の記念
事業の一つとして新版漱石全集を刊行したいと存じます。
就きましては編輯其の他につき特別御高教を仰ぎたく、炎暑
の折柄恐縮でございますが、來る八月十五日午後五時星ケ岡
茶寮へ御枉賀願ひ度此段御案内申上ます。     敬具

    昭和十年八月六日
   
            漱石全集刊行會代表者
   
                      夏 目 純 一



10.8.2.



十・八・三

電文
カヘリヨルニナルヨロシク」 ホシケオカ一五ヒ五ジ
ニタノムミキ
(注: ミキとは三木清のことであろうか)

このあと2ページ空けて、日付なしで、次のタイプ打ちの文書:


「御案内は左記の方々へ致しました(順序不同)」(注: 6名を2段組)

寺田寅彦氏        松根東洋城氏
森田草平氏        鈴木三重吉氏
安倍次郎氏        野上豊一郎氏
安倍能成氏        小宮豊隆氏
和辻哲郎氏        松岡 譲氏
岩波茂雄氏        夏目鏡子氏


以下は、電文と思われるカタカナ文:

ミナサンノゴ ツゴウデ 一四ヒニヘンコウゴセウ
チコウ

一四ヒニカクテイ シマシタ


10.8.14.

編輯会議
とあるが、5ページほど空白のままである。


15日のメモ

漱石全集の爲に、
「文學」雑誌を編集校正室へ移管手配す。


十一年八月十六日


には、長田のサイン入りで、以下のような見積要項を示し、見積書を出すよう、青木様(精興社)宛てに書いている。


見積要項
    総頁   は本文   一二六〇〇 頁
    巻数   は本文   十八巻
    平均頁  は     七〇〇頁
    他に 別巻 総索引  一巻  七〇〇頁 (特殊組)
    尚ほかに 漱石傳 頁未定 一巻     (普通組)
    着手は  早速  
    發行は  此の十月より二十ケ月間
    組方は  〈注: A - F六通りのこの部分は細かいので、省略〉
   
    部数は  賣るつもりにて 精々美しく御変換
              預り
              とりあえず見積は一万二万三万各通頂たし


    精興社              (長田のサイン)
青木様




10.8.17.

小宮先生を 上野に御送りする。おひる。

10.8.19.

第1回配本『虞美人艸』『坑夫』の原稿を印刷所、精興社、青木さんに渡す。(注: 出版日は昭和10年10月20日となっているが、実際の配本開始は、25日である。)



10.8.20. 空白


10.8.21.

□メモ□ 書簡集 補遺(二)は 普及版第十巻
          十九回配本に添付したものなり。
                          決定版原稿原稿に入レスミ。


10.8.22.

松岡さんと昼食。ニューグランド。


10.8.23.

金曜会 臨時開催して報告会。
(注: 金曜会については、連載第3回 10.9.13. を参照。この日も金曜日)


その後、2週間ほど(日記では6頁ほど)空白

翌月9月7日になって、連載第1回で触れた、安倍能成の来店が記録。

このページへ、「製作方面」と題した予定表を添付。9/1 から 10/25 (第一回配本予定日)までのスケジュール。本文、解説、口繪、装幀、月報、内容見本、手續、広告、の区分。

10.9.8.  と 10.9.9./ は空白。


10.9.10.  には「異動考 10.9.10.」 なる人事異動5名の表を添付。


10.9.11.

長田氏鈴木三重吉氏訪問。
表紙装幀のことについて相談。以下、鈴木氏の意見。

一 背文字をも少し細くしたい。「第何巻」の字を上にあげ
    てみたい。やつてみせてくれ。

一 表紙の色はボクボクの方がいい。布は麻布の方。
    この麻布の色は少し淺い感がする。
    然し、小宮、安倍、寺田 三氏がボクボクの方がいゝといふこと
    だから自分もそれでいゝ。
これで表紙はボクボクの青の濃い色の方に決定。

一 小林氏 狩野氏を訪問。背文字の件。
    一 やせた字を書いて頂く事を依頼。承諾。
    一 全部 九月十四日(土)朝 出来の予定
    一 小林氏が頂きに行つて來て下さる予定。


○ 松岡氏へ返事。

○ 夏目さんへ『坑夫』切ぬき 借出方 電話かける。後調べた上返事下さる事。



10.9.12.  二百廿日 中秋明月

と記された日には、○印で区切ったメモがたくさん記されているが、その後半には、今後長引く、店員たちにもやっかいな問題: 小宮 vs 森田の問題が生々しく書かれている。


○ 『虞美人艸』原稿、小石川倉庫から抽出し三つ分
出して來る。桐函の蓋に比較的新しいと思
はれる一吋ばかりの傷あり。借出し入庫の
際には何物にも觸れず。その前からあつたものが
気づかれざらしか、とに角記憶になし。念の爲記して
以て 今日発見を証す。原稿はおいたままの位
置にちやんとしてあつた。今日、その通路をさけて、
階段正面 左壁側に移置す。


○ 森田草平 さん へ堤さん。(五時すぎ)

○ 寺田さんへ、 口絵冩眞 打合せの爲 電話かける。
五時すぎならよろしい由。

○ 夏目さんから電話、切ぬきはない。此前の時
どこかへ持つて行つたまま返らないのではあるまいか。單行本
はある。との事故、あとで 頂きにゆく旨申し上げた。

○ 堤さん 森田さんへ行つた報告、―― 目的は小宮さん安倍
さんの意見によって、月報、広告、單行本の事を
依頼に行つた話なり。
一、  月報の事。
十枚づつを森田さんの頁にしてつゞけて
書いて頂きたい。一回月三拾圓の事も申上ぐ。

一、單行本
その上、適当の分量になる時は單行
本として出版させて頂きたし。

一、広告の事
出來る丈書いて下さい。


森田さんの返事

一、逸話奇行集の事。それはもう一度寺田さんに(小宮
さんに話したと同じ事――すなわち小宮さんの『傳』と同じ
やうに一冊分をそれにあてて四大特色として出す事を)話して相談
した上できめたい。従って、右の逸話奇行集一冊について
両方聯関するが、近く寺田さんを
訪問して返事する。

一、月報の事
寺田さんの意見も、小宮安倍と同じであれば、
先ず月報に書くといふ事で行から。
(要するに小宮さんと対等に扱はれたいらしい。先夜
の會に於てあまり皆が旨い汁を吸ふてゐるのに対し自分が
宣傳等の方丈を負わされる事の不満が未だにあるもの)
(注: 旨い汁の但し書き:
報酬にありつくといふ意味ではない。名誉職としても。)

一、広告の事
やる。書く事は書くが、相手の人
と打合せておいてやりたい。出かけて行つてもよい。


○ 寺田さんへ口繪の事で伺ふ。森田さんがちやんと
いらつしたんで驚いた。今朝堤さんに言つた、あの
相談で早くも訪問の趣。自分の方の用事から
先に片づける事にして話したが、すぐ即決
出來る問題もないので、説明丈しておいて
ゆつくり考へて頂く事にする。要点は五枚づゝ
十八巻で五十枚選ぶうち、前に使はれた
(大形)のを全部生かすとして、大體三十五。残り
五十五枚として色刷りを加へる場合、その巻は、色刷一枚と
單色一枚としたいから單色四枚を以て
色刷一枚に換算する方法で大體に於て三分の一
の六巻に色刷の繪を入れたい。その席での

→◎
概算では大體色六枚單色三十枚を特に選び加へて
頂きたい旨申し上ぐ。期日は今月中といつた
が、これは確定を今月中といふのであつて、他への
相談の必要もあらば、一日も早く頂きたし。
選んで頂いた上仙台へも、持参して決める事。
案なら出す。下選びならする。とて引受らる。


森田さんの話は、ついでに結論に至りたいからゐて呉れとの
事で陪席する。話は今朝堤さんに話した事と全然
同じ。寺田さんは大いによいとの事で誰か是非やつてくれねば
ならぬ事。大賛成だ。との事。但しこれは發表の方法に
ついてでは絶體になく、逸話奇行を森田さんが調べて
書かれる事をすすめはげますのである。森田さんは
所が、その賛成を自分の求める希望と一致させて
發表方法つまり小宮さんと同じ待遇の、附巻
別冊の二として竝び行はれるもの、及至分量の
短さの爲に一冊にならぬ場合にでも 小宮さんの傳
のあとに附加して出す事(を希望して話をしている。それ)の賛成と解したいのだが、
前できいてゐると、寺田
さんはそれはどうでもいゝ(或はそこまで考へない)のであ
つて、両方の話が喰ひちがいではない迄も、合致した
とは思へなかつた、最後に森田さんがその方法につき
念をおした時、それはよく出す方とも相談して、
と言はれた。第一 傳の出し方についても寺田さんは
のみこんでゐられず、説明して上げたら、総
数外にする事を當然として賛成された。

そこで森田さんは 寺田さんがよせといつたらやめ
ますと言ふ返事を僕にするつもりで待
つてゐて貰つたが、寺田さんの返事は今聞い
た通りだから、明日でも堤さんを尋ねて
相談します。といふ結論で一処に出た。

話がぐぢぐぢしてゐるので記録が長く本当うん
ざりした。

○ 寺田先生の処へおいて來た資料は次の如し。

    漱石遺墨集 第一輯 ー 第五輯 (春陽堂分)
    漱石遺墨集 (一冊)             (國華社分)
    々     (一冊)            (岩波未刊分)
    漱石遺墨  (折本一)     (夏目家おかへし分)
    漱石冩眞帖           (第一書房分)
    第三版 口繪挿絵
    普及版 口繪


◎ 飯山さんが夕方から来て「彼岸過」をやる。